寂れたスナックで語る物語 第八話 「かいこ」 その(4)
前回までお話しした 「かいこ」 のあらすじは、
”偶然に出会った 「兄」 と名乗る男と翔梧は飲みながら語り合ううちに、男は、「忘れた過去を見せてやろうか」 と言い、翔梧を過去へ誘い込んだ” という内容でした。
さて今回から、物語の冒頭で述べた 『「蚕」 それとも 「回顧」 どちらの漢字を充てましょうか。』 の 「蚕」 が物語に関わってきます。
それでは第4話に入ります。

蓮の花 Photo by Soseiranzou 撮影場所:富山県 南砺市 福野
「翔梧、先ほどから何をぶつぶつ言っている、先ほどからおかしいぞ。呼んでいるのに聞こえないのか、早くしろ」
”ほれほれ、怖い兄様のお呼びだ。 さてと、俺はしばらく様子見としよう“
兄に急かされた翔梧は、「兄」 と呼べぬ男の声に構っている余裕はない。
「あっ、兄さん聞こえているよ、すぐに行きます」
急いで部屋を出た翔梧は小走りで居間に向かった。
投稿者: K.Miyamoto



居間の父と母の位牌が並んで安置された、急ごしらえの小さな仏壇の前ではすでにお坊さんの読経が始まっていて、できるだけ小さく屈んで居間に入り、兄の隣にそっと座った翔梧を、兄は咎めるように見た。
兄弟だけの簡素な法要はすぐに終わり、お坊さんがお帰りになると案の定、
「お前はいつまでたっても子供だな、今日が何の日か分かっていたはずだ」
「あぁ、父さんと母さんの命日だと言うのだろう、俺だってそれぐらい分かっているよ」
「分かっているなら始まる時間も分かっていたはずだ、約束した時間は守れ」
翔梧はこの兄が苦手だ。
父や母がいなくなってからは些細なことに目くじらを立て、最近は一段とうるさくなった気がする。
やさしかった父と母を思い浮かべた翔梧は、兄・翔一の苦言にため息をついた。

振り返る Photo by Soseiranzou 撮影場所:富山県 南砺市 大鋸屋
亡き父と母を偲ぶうちに、仕事熱心だったと聞く両親の記憶が浮かんでくる。
翔梧の父は、1953年(昭和28年)、城端町北野(現、富山県南砺市北野)の地に創設された蚕業技術指導所に勤めていた。
指導所はその頃降って湧いた正絹(絹には正絹と人絹が有り、正絹は天然繊維で繭から取り出した本物の絹糸を指し、人絹は絹糸に見立てた合成繊維を指す)の輸出需要に対応するもので、今となって指導所の詳細は不明だが、旧城端町発行の 『城端町史』 では、「桑園面積253坪(836・36㎡)に植えられた多くの種類の桑の木と木造一部二階建ての指導所があり、蚕室は23・33坪 (約77・12㎡)程の広さ」 とあるが、蚕座(飼育している蚕児のいる場所)がどれくらいの規模だったのかなど、詳しい記述は見当たらない。
家族で近くの借家に住んだ。
農家に委託してある研究用の蚕の世話は早朝から始まるので、父は餌となる桑の準備のため、指導所内にあった八畳の宿直室に泊まり込むか朝早くに出かけて、翔梧が起きた時すでに姿が見えないことが度々あった。
その頃まだ頑是ない翔梧は指導所に立ち入ることが禁じられたので、桑園に植えられた多くの桑の木と、指導所の建物を遠くから眺めた記憶しかない。
後になって翔梧は知るが、農家に管理を委託したといいながら、父は夜明け前、指導所の桑園で種類別に取り入れた新鮮な桑の葉を、農家に持ち込んで食欲旺盛な蚕に与え、温湿度の確認、飼育記録の確認、蚕座の清掃・消毒など多岐にわたる仕事をこなしたという。
他にも繭の中の蚕が 「さなぎ」 から 「カイコガ」 という成虫になって出てきた後での産卵、蚕の生育を中心とした農家への技術指導などがあったという。
もっとも父は、「指導所の業務としてやっているのだから規模は小さく、しかも俺一人でやっていることではない。委託先の農家の苦労とは比べ物にならないくらいだ」 と、笑いながら言ったというが、生き物を扱う仕事だけに気苦労が多かったと思う。
戦前、1940年(昭和15年)の奢侈(しゃし)品等製造販売制限規則施行は正絹の使い道を絶った。
戦後になり日本人の生活様式が和装から洋装へ変化したため、絹の消費量は戦前の数字に戻らなかった。
加えて、戦後の食糧難などから桑園の2割減反の行政措置、土地改良法(1949年6月施行)、農業基本法(1961年)に基づく圃場(ほじょう)整備事業の始まりで、桑畑は次々と水田に変わった。
農家は収入の大きい米作が主力となり、一時も蚕から目を離せず手間のかかる養蚕は衰退する。
需要に応じて指導所が創設されたものの、城端(現、富山県南砺市)に立地する工場では、すでに1930年(昭和5年)から人絹を使った織物生産が始まり、指導所が出来た3年後の1956年(昭和31年)には、当時、合成繊維の中でも画期的といわれたナイロンを使って織物生産を始めた。
十三年後を知る翔梧は、正絹で賑わった城端の織物が、戦中戦後には人絹で賑わい、その後合成繊維の時代をまい進していることは知っている。
養蚕を続けるには多くの障害を乗り越えねばならない。
思えば父の仕事は時代の流れに逆らうものだったが、父は真摯に蚕と向き合い、養蚕農家の後押しをしようと試みた。
父の要請に応えたわずかな農家も、何かと父を頼りにする。
その父を幼い翔梧は眩しい目で見た。

停滞する Photo by Soseiranzou 撮影場所:富山県 高岡市 高岡古城公園
翔梧の記憶に、父母が事故に遭った日の朝、農家から入った 「桑を与えても食べようとしない、蚕の様子がどこか変だ」 という連絡内容が残っていた。
後年になって確かめた内容では、
その日、養蚕の将来を左右しかねない大切な会議に出る予定の父は、農家から蚕の状態を聞き取り対応を指示したが、会議に出る寸前になって、「急がないと蚕が危ない」 と、連絡が再び入った。
父が聞いた内容では感染症が疑われたといい、感染症は主に、口を通して感染する経口感染、皮膚から感染する経皮感染の他、卵を通して感染する母体(経卵)感染がある。
蚕を調べなければどの感染か判断はできないが、すぐにも感染した蚕室の蚕を処分し蚕室を消毒する必要がある。
「お蚕さま」 と呼ぶ大切な蚕に感染が広がり、全滅となれば養蚕の将来は閉ざされる。
憂えた父は母と相談した結果、会議への出席を取りやめ、連絡のあった五箇山へ行くことにした。
だがいつも使う乗り合いバスを待っていては間に合わない。 すぐに借りた車へ消毒機材などを積み込み、父は不慣れな運転席に、母は助手席に乗り込んだ。
当時、城端から五箇山へ行くには、城端八幡道路 (後の旧国道304号線)を使った。
この道路は、幾重もの山ひだを縫って作られた道で、曲がりくねって狭く前方から車が来てもすれ違いのできない所があった。
中でも通称 「人喰(ひとくい)谷」* と呼ぶ一帯は急峻な山肌に作られた道で、片側は深い谷にもかかわらず転落防止さく(車止めなど)が無く、道と崖の境があいまいなため谷側に寄りすぎると、路肩の小石がパラパラと谷へ落ちて崖にへばりついた草木に当たる音が聞こえた。
砂利を敷いた道は、「危ない!」と思ってブレーキを踏んでもタイヤは砂利を噛むだけで、車は勢いのまま進んですぐに止まらなかった。
その上、深い谷底との気温差によるものか、付近はモヤのかかる日が多い。
人喰谷については次のような言い伝えがある。
「冬にボッカと呼ばれる人達が物資などを担いで五箇山から雪の深い峠を越え城端まで歩いたが、道筋の谷は急峻で雪崩が多く、雪崩に遭った人や荷物が春になって雪が解けても出てこないことから、人々は人喰い谷と呼んで恐れた」
人々が恐れる人喰谷。新緑や錦秋には美しい景色を堪能させてくれるが、その地を通るには神経がすり減る思いのする道だった。
危険な道からの脱却は、まだまだ先の1984年の五箇山トンネル開通まで待たねばならない。
父母が乗った車と遭遇した運転手は、
そのような人喰谷の難所を、「車の速度も落とさずに細尾峠側から下って来た」 と証言した。
運転手の話によると、
その日は雨こそ降っていないが、梅雨という季節なので辺り一面に濃い靄が立ち込め見通しが悪かった。
靄が薄らいだ一瞬、谷を挟む向かい側の道に峠側から下って来る車を見た運転手は、曲がり角の向こう側の死角から 「車が現れる」 と知り、角の手前の山肌に車を寄せて対向車が現れるのを待った。
しばらくして現れた車は、この先が急な曲がり角にも関わらず速度を落とす気配などなかった。
一瞬、車の中に二人の姿が見えた。
車は虚しく噛んだ砂利をタイヤが振り払ったときの、「ザザザッ」 という悲鳴に似た音を響かせ、砂ぼこりを巻き上げながら一直線に谷へ消えていった。
運転手は突然の恐ろしい光景に、
「一瞬、何が起きたのか分からなかった、目を疑うようなできごとだった」と、残像に震えた。
マスターの素姓乱雑です。
第4話はここまでとさせていただきます。 最後までご覧いただきありがとうございました。
なお、この物語はフィクションであり、実在する事件、事故と関係がありません。
物語の作成にあたり、 旧城端町発行の 『城端町史』 のほか、webで 「蚕」 「絹」 についての記述を参考にさせていただきました。
次回は、「花を手向けるため向かった事故現場から」 の内容になります。
*編集部・注 - 「人喰(ひとくい)谷」 は、富山県南砺市に実在する谷で、紅葉の名所としても知られている。
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