寂れたスナックで語る物語 第七話 「かいこ」 その(3)
前回までお話しした 「かいこ」 のあらすじは、
”道に迷った翔梧は一夜の仮宿を頼もうと思い、幾つか明かりが見えるうちの一軒に向かった。そこで偶然出会った「兄」と名乗る男と翔梧は、酒を飲みながら互いを語り合う” というものでした。
それでは第3話に入ります。
「小さい頃から住んでいるというならこの家だ。覚えていないか、雪の降った朝、俺が見ている前で白くなった道に足跡を付けるのが面白くてはしゃいだことを」
梅雨の季節だというのに冷たい風が二人の間を通り抜けた。

高岡大仏 Photo by Soseiranzou 撮影場所:富山県 高岡市
「記憶は確かでないが、夢で見たことはある」
男から、今朝見た夢を先回りして明かされ、翔梧は不安を抱いた。
男に夢の全てをあからさまにされると 「記憶を無くした」 が事実となりそうだ。怖くなった翔梧は夢の中の「車のライトが襲い、体が宙を舞った」部分はわざと伏せた。
(男はやはり兄なんだろうか。男が言うように、「自分は記憶を無くしたばかりか、兄は他界したものと思い込んでいる」 のではないか。)
翔梧は男が兄でないことを確かめるため、錠が外れた過去の扉を開けた。
時を経た今、兄が他界した時の嘆き悲しみはやわらぎ、現実を拒むこともなく受け入れている。「遮るものなく十二年以前が見渡せるはず」と、翔梧は思った。
ところが、見えたのは兄を亡くした後過ぎた十二年の歳月だけで、その先は虚ろ。
投稿者: K.Miyamoto



過去を無くしたと気付かぬまま十二年の月日を過ごしたというのか、見えた十二年は蜃気楼のように儚(はかな)い。翔梧はうろたえた。
自らの過去にぽっかりと開いた記憶の穴。うかつに覗いて足を踏み外せば、どこまでも落ちていきそうで怖い。いったい何があったというのだ?
翔梧と男の間には、翔梧だけに見える壁がある。それが男を 「兄」 と呼ぶのをためらわせ、「記憶を無くした」 と認めそうな翔梧を辛うじて踏み止まらせた。
「夢を見るからには現実という下地が有るからだ。家の前に出て通りを眺めれば当時を思い出すかもしれぬな。で、夢の続きは出てこないのか?」
男はじっと翔梧の顔を見た。 「隠しても知っているぞ」 という顔つきだ。
男は翔梧の心に不安を重ねる。
(過ぎた日々を明るみに出してどうしょうというのだ。仮に男は兄であったとしても、今まで通りに蚕子との幸せな家庭で絹子と繭子を育て、翔梧は翔梧なりの人生を歩めばそれでいいのではないか。執拗に「兄」と迫る男の意図は何か)
翔梧は次第に、「男を兄と呼び、出会えて良かった」 だけでは済まされない気がした。
今や男は、先ほど 「兄だ」 と言った時の雰囲気と違い、人が変わったようだ。

曼珠沙華と蝶 Photo by Soseiranzou 撮影場所:富山県 南砺市 城端
「話せないようなら、忘れた過去を見せてやろうか」
翔梧の心を覗くように、目つきは鋭く底意地の悪い顔付きをする。
翔梧は飲みすぎたのか頭の芯がくらくらした。
「お前が今まで飲んだ酒は過去を辿る酒だ。すでに12本は過ぎた」
見れば翔梧が飲んだ銚子は区分けしてあり、男は散らばった空の銚子を卓の上にまとめながら言った。
酔いが酷く意識が朦朧(もうろう)となった。
泣き顔、笑い顔、思案顔の翔梧を春、夏、秋、冬の四季が取り巻き、螺旋(らせん)となって通り過ぎるたびに、容赦なく翔梧をもてあそんだ。
それらを12回も繰り返す四季から解き放されたと思うと、翔梧はぽっかりと開いた底知れぬ穴へ真っ逆さまになって落ちていった。
「翔梧!」
聞き覚えのある兄の声で翔梧は正気に戻った。
(何だ、今見たのは夢だったのか)

不思議なお家 Photo by Soseiranzou 撮影場所:富山県 南砺市
そう思ったがなにか様子が変だ。 翔梧の身形すべてが幼い。
”どうだ、十三年前に戻った気分は。若くなるのだからそう悪くはないだろう“
先ほどまで目の前にいた男の声がする。
翔梧もこの年の頃は兄の庇護のもと、何の屈託もない。
「十三年前? 十二年前ではなかったのか」
”聞いていなかったのか、「12本は過ぎた」 と俺は言ったはずだ “
「減らず口をたたく。お前は誰だ!」
”何度も言わせるな、俺はお前の兄だと言っているではないか“
男はこの時になっても、翔梧の 「兄」 であると言い募った。
「でたらめを言うな、兄の声なら今しがた居間の方角から聞こえた」
「翔梧、先ほどから何をぶつぶつ言っている、先ほどからおかしいぞ。呼んでいるのに聞こえないのか、早くしろ」
”ほれほれ、怖い兄様のお呼びだ。さてと、俺はしばらく様子見としよう“
兄に急かされた翔梧は、「兄」 と呼べぬ男の声に構っている余裕はない。
「あっ、兄さん聞こえているよ、すぐに行きます」
急いで部屋を出た翔梧は小走りで居間に向かった。
マスターです。
第3話はここまでとさせていただきます。最後までご覧いただきありがとうございました。
次回は、「父と母の過去をめぐる話」 へと展開してゆきます。
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