寂れたスナックで語る物語 第六話 「かいこ」 その(2)
前回の「かいこ」 その(1) のあらすじは、
”道に迷った翔梧は一夜の仮宿を頼もうと思い、幾つか明かりが見えるうちの一軒に向かった家で、「兄」と名乗る男と出会う”
という内容でした。 引き続いて第2話に入ります。
翔梧が連れて行かれた部屋は茶の間で、時分どきらしく裸電球に照らされた丸い卓の上に食べかけの食器が並んでいた。
男と女の間に座らされた翔梧は、さっそく酒の入ったコップを持たされた。
飲むように勧められて口に含むと甘くも辛くもない、今まで味わったことのない酒だが、喉越しだけは妙にいい。
思いがけない出来事の連続で喉が渇いた翔梧はコップの中身を一気に飲んだ。

アブチロン・チロリアンランプ Photo by Soseiranzou 撮影場所:富山県 砺波市 エレガガーデン
男はしみじみとした口調で、「お前なぁ、急にいなくなったので、どうしたものかと案じていた」 と言い、
女は、「残り物だけど」 と言い訳をして、卓の上に酒の肴を並べ、翔梧に箸を持たせた。
女の隣に子供が二人、夜のちん入者が父の知り合いと分かって怯えた様子はなく、箸が止まったままなのは、自分たちとどのような繋がりなのか興味があるからだろう。
父と翔梧の話に聞き耳を立て、時折、翔梧へ視線を這わせた。
もし兄が生きていれば男と似た年恰好だろうが、十二年前に他界した兄がいま現れるはずもない。
また、年齢を重ねたといっても面差しが、記憶にある兄と似ていなかった。
投稿者: K.Miyamoto



翔梧は、「弟が戻った」 と喜んでいる男に、重ねて 「人違いだ」 と言えなくなり、男の弟でないと分からせるにはどのように話を進めればいいのか困っていると、男は翔梧を眺めながら、「そうか」 と小さくうなずいた。
「まぁいい、あれだけの事故に遭ったのだから。無理に思い出さなくてもそのうちに思い出すさ」
続けて翔梧に、
「まさか、俺の名前を忘れていないだろうが、俺はおまえの兄・翔一、これは嫁の蚕子、そして子供は繭子と絹子だ」 と指し示して名前を教え、嫁には 「弟の翔梧だ」、子供たちには 「叔父さんだよ」 と優しく言い聞かせた。
どうやら男は、翔梧が出かけたままで、戻らないばかりか長い年月に渡って便りも寄こさなかったのは、「記憶を無くしたから」 と受け取ったようだ。
「それにしても不思議だな、明日が親の祥月命日という日に戻るなんて。これも親の引き合わせだろう」
そこで男は話を区切り、翔梧のコップに酒を足した。
翔梧は不思議でならない。
夕刻になって出かけた訳は、明日が親の祥月命日という晩になり、法事の手配りに齟齬があると気付いたからで、親の命日を知り、翔一、翔梧と、兄弟の名を正しく言えるのは、男が兄であるという確かな証。
それでも釈然としないのは、両親を亡くしたすぐ後に頼みの兄まで失い、食べ物も喉を通らないほど嘆き悲しんだ辛い記憶が心に焼き付いているからか。
他にも、翔梧には男を 「兄」 と呼べない訳があった。
「どのような仕事をしているの。身なりは悪くないようだから、食うに困っていないと思うが」
「建設会社の作業員をしている」
「作業員と言えば外仕事に加えて力仕事だ、辛くはないか」
「いや、誰でもやっていること」
「困ったことがあれば何でも言え、できる限り力になってやる」
男は兄らしい気遣いを見せるが、翔梧は男を兄と呼べない。
飲み始めてからずいぶんと時間が過ぎたのか、卓の上には空になって転がった銚子、汚れた皿などが散らばっていた。
子供たちはとうに食事を終えて別の部屋へ移り、蚕子という女も子供の世話をしているのだろう、姿が見えなかった。
子供たちのいない茶の間は先ほどと違って、冷えびえとして薄暗いものに見える。

カナヘビ Photo by Soseiranzou 撮影場所:富山県 南砺市 城端
先ほどまで聞こえたカエルの鳴き声も今は途絶え、あたりは重苦しいほど静まり返った。
「所帯は持ったのか」
「いや、嫁さんはまだ貰っていない」
「そうか独り身か。いい歳だから早く身を固めんといかんな。ところで、将来を約束した人はいるのか」
「そんな人などいない」
「早く嫁を貰え、家族とはいいものだぞ。これまで案じた弟が無事に戻ってきてくれたのだ。この先、お前の家族が増えてゆくのが楽しみだな」
男は嬉しそうに笑みを浮かべ、コップに残った酒を一気に飲んだ。
「弟が戻った」 と機嫌よく飲んでいた男が不意に、「肝心なことを聞き忘れた」 と言い、自分の膝をポンと叩いた。
それが翔梧には、過去を閉ざす扉の錠が外れた音に聞こえた。
「ところで翔梧、今どこに住んでいる」
「今って、小さい頃から住んでいた所だ、それからどこにも変わっていないよ」
兄という男に馴れたわけではないが、酒の勢いなのか翔梧自身も気付かないうちに、口調はやや砕けたものになったが、男はその場の雰囲気をいとも簡単に破った。
「小さい頃から住んでいるというならこの家だ。覚えていないか、雪の降った朝、俺が見ている前で白くなった道に足跡を付けるのが面白くてはしゃいだことを」
マスターです。
第二話はここまでとさせていただきます。 最後までご覧いただきありがとうございました。
次回は、「兄と名乗る男の態度が次第に変化してゆく」 という内容になります。
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