寂れたスナックで語る物語 第五話 「かいこ」 その(1)
本日の 「かいこ」 という物語は少々長いので数回に分けますが、「蚕」 それとも 「回顧」 どちらの漢字を充てましょうか。
えっ、両方とも! 欲張りですね。
ともあれ、失った過去を辿った人の話しになりますが、先へ進めさせていただきます。
辺りを包む白い世界、道にも薄く雪が積もっている。
兄が微笑みながら見ている前で、白い道に残る黒い足跡が面白く、はしゃぎながら飛び回る自分がいる。
「ほら兄さん、足跡がこんなにくっきりと」
翔梧は振り返って兄の笑顔と道に残った靴底の模様を交互に見た。
突然の耳をつんざくブレーキ音。驚いて顔を上げれば兄の背後に迫る大型トラックの姿が視野に入った。
暗転、車のライトが襲い、体が宙を舞って、悲鳴をあげたところで翔梧は夢から覚めた。
寝汗で下着が濡れて気持ちが悪かった。
近ごろでは思い出すことも少なくなった十二年前の事故を今朝はなぜ夢で見たのだろうか。
兄が亡くなったのは年明け早々だった。その八年前にも事故で両親を失っている。

睡蓮 Photo by Soseiranzou 撮影場所:富山県 南砺市 大門河川公園
両親の祥月命日が明日に迫った。
梅雨に入ってからというもの雨模様が続く。
空を厚く覆った雨雲は日差しを遮り、辺りは早くもどんよりと薄暗い。
翔梧はこのような雨の日にどこへも出かけたくなかったが、住職と会って祥月命日の打合せをしなければならない事案ができた。
もっと早くに気づけばまだ明るいうちに何とか出来たはずだ、と悔やみながら、母の形見であり、兄の形見でもある時計を腕に付けて車に乗り込んだ。
投稿者: K.Miyamoto



「あれ、どうしたのだろう?」
車を進めて程なく誘導灯の明りが薄暗い中を泳ぐのが見えて、翔梧はブレーキを軽く踏み込み、誘導員の近くに車を止めて窓ガラスを下げた。
白いヘルメット、反射材の付いた白い雨具姿が警察官でないと知り、翔梧はなぜかホッと息をつく。
誘導員は翔梧の顔を覗き込んで 「申し訳ありませんが、この先で急な工事が入ったので通ることができません。迂回をお願いします」 と告げ、
車から離れて誘導灯の先を一点に向けた。
示された方角を見ると車が一台通れるほどの脇道がある。
翔梧は指示された通りに脇道へ車を進めながら、何気なくルームミラーで後方を見れば、誘導員の姿はすでに降りた闇に溶け込み、誘導灯の明かりだけが人魂のように舞った。
しばらくすると降り続いた雨は止み、視界を狭くしていたワイパーを止めれば運転はし易くなったが、ライトが照らし出す先は限られ、どの辺りを走っているのか見当も付かない。
そのうちに、どこまで行っても脇道から抜け出せないばかりか道幅は狭くなり、どこかで道を間違えたようだと気付いたときは、前後に進むのが難しくなった。
明るくならないと路肩の様子が分からないので、怖くて車を動かせないが、車中と言っても狐狸(こり)が跋扈(ぼっこ)する暗闇でこのまま朝を待つ気になれなかった。
闇の中、「どこへも行かないで!」 と叫ぶ、懐かしい母の声を聞いた気がした。
窓の外を見つめたが、空耳だったのか暗い通りには誰一人見えない。
どうせ道順を教えて貰わなければならないのだから、ついでに一夜の仮宿を頼もうと思い、車を降りて辺りを見まわせば、幾つかの明かりが見える。
翔梧はそのうちの一軒に向かった。

夕暮れの散居村 Photo by Soseiranzou 撮影場所:富山県 南砺市 閑乗寺公園
「ごめん下さい、今晩は」
玄関に入って声をかければ返事よりも先に、奥から玄関に向かってくる足音が聞こえる。翔梧は姿が見えるよりも先に、足音の主に向けて声をかけた。
「すみません、道に迷った者ですが」
玄関に現れた翔梧より年上と思われる男は、顔を合わせた途端に 「おやっ」 という顔をした。
「翔梧? 翔梧じゃないか、お前、今までどこにいた」
「私は確かに翔梧ですが、人違いじゃないですか?」
「何を言う、兄であるおれの顔も忘れたか!」
男は翔梧の手をいきなり掴んで揺すり、身悶えしながら訴えた。
見知らぬ男から兄と言われて翔梧が戸惑っていると、
「どうしたの、知った人?」
二人の声を聞きつけ、奥から女の声と駆けつける足音が間近に。
「何を遠慮している。ささ、早く上がれ!」
「何もお構いできませんけど、上がってください」
夫婦とおぼしい二人に手を持たれ、翔梧は靴を脱ぐ暇もなく家の中へ引きずり込まれる。
その時になって抜けた靴が 「コトン」 と音たてて廊下に散らばった。
マスターの素姓乱雑です。
最後までご覧いただき有難うございました。 本日はここまでとさせていただきます。
次回の続きは、「兄らしい思いやりを見せる男に対し、なぜか、「兄」 と呼べない翔梧」 のお話になります。
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