寂れたスナックで語る物語 第四話 「兄をめぐる物語」
いまマスターは仕入れに出ているので、今日は私が仮のマスターを務める。
カウンター上には亜喜夫などにまつわる本が一冊。
「これで商いをしなさい、物語が尽きれば店を閉じればいい」 とでも言うのだろう。
私は蝋燭に灯をともし、カウンターの本を手に取ってページをめくったが、「今日は私の打ち明け話にしましょう」 と告げて本を閉じた。

Photo by K.Miyamoto 撮影場所: 東京都 台東区 上野恩賜公園内 不忍池
「兄をめぐる物語」
今にも泣きだしそうな空の下を散策していた私は、近くに不忍池があると知り行く気になった。
池畔に立つ私に見えたのは池一面を覆う蓮の葉。
その間から、数こそ少ないが清らかに咲いた花を見ていると、心が洗われるような気がした。
「来てよかった」。
長らく音信不通でいた私の兄が 「亡くなった」 と警察から知らせが入り、身元確認と聴取に応じるため、早朝の列車で富山から東京へ来たのは八月も終りに近い昨日。
私は蓮の花に向かって手を合わせ、昨日の一日を思い浮かべた。
投稿者: K.Miyamoto



地理不案内の東京へ私一人で来るのは初めてだ。
あらかじめ電話で聞いた通りに東京駅で降りて総武線に乗り換え、最寄りの駅からタクシーで遺体が安置してある署に向かった。
署の受付で名前を告げると担当の方が見え、挨拶のあとで写真での身元確認となった。
「遺体発見時の写真です。あまりお勧めできませんが、本人かどうかを確認しますか? 季節は夏で日にちも過ぎているので、確認しにくいかもしれませんが」
「確認しますので見せてください」
「見ていて気分が悪いようでしたらすぐに言ってください」
「分かりました」
署員から見せられた写真は、ふろ場と思われる床に横たわる男性の遺体。
腐乱し始める姿とは対照的に、顔を覆う黒々とした無精ヒゲばかりが目についた。
兄はヒゲを剃ることがなかったのか。
いや、身ぎれいな兄だったからそのようなことはない。
そうであれば、倒れてからヒゲが伸びるほど長時間、身動きできないままでいたのだろうか。
それとも、息が絶えてもヒゲだけは伸び続けたのか。
考え込んだ私を見た署員は、気分が悪くなったと思ったのか写真を取り上げた。
しばらく間をおき、
「どうでしたか?」
署員は、写っている人物が 「兄」 か、を聞く
「音信不通になってから十年ほど経ちますからね」
私は言外に 「兄かどうか分からない」 の意味を込めた。
事実、十年という月日は兄の面差しと分からないほどに変わっていた。
署員は最初から私の答えを期待していなかったのだろう、それ以上問うこともなくあっさりと話を変えた。
「それでは、遺体を安置してある所へ行ってみますか?」
「は、はい」
「ずいぶんと匂いますよ」
「かまいませんので」
「じゃ、こちらへ来てください」
案内されたのは、遠くからでも異様な雰囲気が伝わる 「霊安室」。
薄暗い部屋に入り、蠟燭の明かりに目が慣れれば、一段高い所に横長の袋が見えてきた。
医者の手術着に似た色の袋は人の形に盛り上がっているので、中に遺体があると分かる。私は遺体に向かって手を合わせた。
そのあとで身元照合に必要なDNA試料を採取した。
採取を終えて、「監察医から話があります」 ということで待ったが中止となり、一連の聴取を終えた。
署を出たのは4時を過ぎていた。もうすぐ9月で陽も傾いたというのになんと暑い日だ。私は汗だくになって最寄りの駅まで歩き、上野まで戻った。
富山へ帰るために時刻表をたどれば、今からでは城端線の最終列車に間に合わない。それならば明日、兄が住んでいた所の雰囲気を見てから帰る予定で、近くのカプセルホテルを探した。
今日は昨日と違って曇っているが蒸し暑かった。このあと私は不忍池を離れ、兄が住んでいたマンションへ向かうつもりだ。
署で保管している部屋のカギを貰っていないが、マンションの管理人と話が通じたので、部屋は無理でもマンションの中に入れてもらえることになった。
兄の孤独死が分かったきっかけは、同じ階に住む看護師さんの嗅覚だったという。職業柄、匂いでピンときたというが、後日、室内に入って5分もいられないほど強烈な匂いに悩まされるなど、その時、思いもしなかった。
それにしても ……、兄が音信不通になったのはなぜだろう。蓮の葉の間から見える花のように、些細な疑問が浮かんでくる。
署で確認したが、兄が倒れていたのは風呂場。
入浴中は室内へ人が立ち入らないように玄関のカギをかけると思うが、玄関のカギは掛かっていなかったと聞いた。
マンションを買った時の高額ローンが残っていて、ローンを組んだのは50歳を過ぎてからという。50歳を過ぎてのローンは壮健なうちに払いきれないだろう。まして兄は独り身だ。
いろいろと確認したいことが有りマンションの管理会社に電話をしたが、担当者が不在とかで連絡は取れなかった。
気丈なつもりでいたが、昨日一日の身元確認の事情聴取は精神的に応えたようだ。
蓮の花を見て一時は清々しい気分になったものの、蓮の根元が泥水で満ちるように、疲れた心へ悪しき妄想が満ちてきた。
その妄想とは ……
マンションの販売管理会社の営業担当者は販売成績が芳しくない。
そこで実績を上げるため標的を、中年男性で田舎出身の独身者に絞ることにした。
田舎者は、「まじめ」 に 「くそ」 が付くくらいだから従順で扱いやすかった。
払いきれないことはわかっていてもローンを組む。ローンの保証は生命保険。
そこで担当者は、「都会で一旗上げる」 と飲み屋で熱く語っていたY雄に狙いを定めた。
「朗報です。ある物産会社の社長が会社の販路を広げるために、やる気のある人を探しています。あなたのことを話したら大いに乗り気で、支店長として出身地の販売担当を任せてもいいということでした」
餌となる話を持ち出し、
「販路に精通すれば将来、独立も望めます。あなただったらやれる!」と、煽った。
「まずは社長の信用を得ることが第一です、あなたの身分を確実にするため住まいを整えましょう。なに、支店長となればローンなどすぐに完済できますよ」
担当者は半ば強引に高額ローンを組ませてマンションの売りつけに成功した。
故郷に錦を飾ることも不可能ではない夢に、舞い上がったY雄は担当者を疑いもせず言われるままに、マンション販売の契約にサインした。
が、時が経つにつれて担当者の胡散臭さとローンの大きさに気付いて怖くなった。
功名心にかられて縁者の誰とも相談せずに組んだローンだ。いまさら田舎に泣きつけば、「一旗揚げるといいながら、騙されるなんて馬鹿な奴だ」 と噂の的になるだろう。田舎での噂は辛辣だ、後々まで後ろ指をさされる。小心者のY雄はそれらも怖くて音信不通を貫いた。
一方、担当者は、売りつけを終えて用済みとなったY雄を適当にあしらう。
いままで親身になって話を聞き、相槌を打った態度が豹変する。
「あなたが優柔不断でいい加減だから、いい話なのに立ち消えになってしまった」
もともと実態のない話だったが、担当者の言葉は田舎育ちの身分不相応な夢に容赦がなかった。
夢をむしり取られたY雄はその後、不景気で仕事まで失い、次に求めた仕事も長続きしなかった。失意のどん底にいるY雄は都会の荒波に耐えられず、身も心もボロボロとなった。
Y雄が病んで引き籠りとなりローンの支払いが滞ったと知るや、すぐに駆けつけた担当者はY雄に向かって冷たく言い放った。
「不始末で残ったローンはあなたの生命保険で払ってもらいます」
「そんな ……」
担当者はY雄から、誰とも音信不通でいるのを聞き出している。
「あなたがこの世から消えても、すぐに誰も気付かないだろう」
担当者は冷酷な笑みを顔に浮かべた。
最初からを払いきれないのを知りながら組んだローンだ、この男はいずれこうなる運命だったのだ。
手持ちの無いY雄はここ数日間、食べ物を口に入れていない。もはや髭をそる気力もないのか痩せた頬にヒゲばかりが目立つ。
衣服を剝がされて、放り出された風呂場でわずかにもがいて見えたのがY男の最後の姿だった。
見届けた担当者は部屋を出る。玄関の鍵は掛けない。
「玄関の鍵を掛けてしまえば鍵は戻せない、部屋に鍵が見当たらなければ不審に思われる。風呂場だからしばらくは気づかれないだろう」
担当者はそう呟いてマンションを後にする。
これが妄想のすべて。
その後マンションの販売管理会社に何度か電話をしたが、兄の担当者と連絡が取れないままだ。
噂では、担当者は私が電話を掛けた数日後から行方不明となり、会社では 「無断欠勤のうえ連絡が取れない」 などとして、「解雇処分にした」 と聞く。
蝋燭の明かりで、亜喜夫、奈津夫、葉瑠男を闇から浮かび上がらせたのに……。
語り終えて小さなため息をつく。
もう十年の月日が過ぎた。不忍池の蓮の花は今年も美しい花を咲かせるだろうか。
蓮は泥水をすすって清らかな花を咲かせるが、私の心に満ちた悪しき妄想は真実の花を咲かせることなどなかった。
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