寂れたスナックで語る物語 第三話 「毛髪を無くした物語」
通りを歩けば路地から少し入った所に散髪屋が見える。古くさい店だ。こんな場所で、しかも寂れた店に客が来るのだろうか?
窓越しに店の中を見てみると案の定、誰もいない。
だが意外にも、店主は女性で若い。
店主に惹かれた葉瑠男はドアを開けて中に入った。
「いらっしゃいませ」 と応える店主。
椅子を示されて座るとすぐに好みのヘアスタイルを問われ、さっそく散髪が始まった。
投稿者: K.Miyamoto



女性の店主はしなやかな指で手際よく髪を整え、時おり、ツボを心得ているのか頸部や背中に指圧を加える。それがたまらなく心地が良くて葉瑠男は現実と夢の間をさまよった。
店主はマスクをしているからか、あまりしゃべらなかった。ただ終わりごろになるとマスクを外し、葉瑠男の耳元に口を近づけると、
「上ばかり髪を整えても駄目よ、みんな肝心な毛髪の手入れを忘れているのだから」
夢心地でいる葉留男はもう店主の言いなりだ。
「肝心な所とは?」
葉瑠男の声が裏返っている。
「それはね……」
店主は少し間をおき、
「他人には滅多に見せない所よ、だからみんな気付かない。毛髪の生えた部分は手入れが必要なのに」
店主は葉瑠男の顔と並ぶ位置まで屈み、
「彼女とのデートで、いざという時になって慌てなくても済むわよ。今日はお客があなただけだし予定もないから、手入れの方法もついでに教えてあげる」
店主はスーッと手を伸ばし、体にかけてある刈布の上からそっと手入れが必要だという部分をなぞった。
絶妙な触れかたに、葉留男は布地の下の毛髪をふんわりと撫でられた心地がした。
「でも、プライベートな部分でしょう、ここでというわけにはいかないわ。それに、あなただって困るでしょ」
微妙な部分の話なのに、女性の店主は臆することなく笑顔で言った。魅力的な笑顔で葉瑠男の心をとらえて離さない。
店主が示した所を見れば、先ほど店内に入ったときに気づかなかった扉がある。
その扉を開けて葉瑠男が入った個室の広さは4畳ほど。
部屋の隅には店内でも見られるような散髪道具、それに脱衣かごと白い布をかけたベッドがあるだけの殺風景な部屋だ。
部屋に入るとすぐに、店主はベッドにタオルを敷きながら、「ズボンと下着を外すように」 と指示した。
店主と言っても妙齢の女性だ。毛髪を見てからの葉瑠男は女性の前で下腹部を晒したことはない。
葉瑠男が戸惑っていると、店主は準備の手を止め、
「脱ぐのが恥ずかしい? 何なら下着は外さなくてもいいわよ、でも毛髪を整える時は下着を下げるから同じことだけどね」
笑顔を見せながら衣服を外す葉瑠男を手伝った。
下着を外した葉瑠男は肌が外気に触れた途端、今までにない解放感を味わった。
明るい部屋の中で微妙な部分を晒すのは気恥ずかしいが、言われるままにベッドで仰向けになった葉瑠男の解放感は喜びに近い。
手入れが始まり、店主は半ば硬くなったシンボルを手で押しやり、
「男の人って無神経なのね。乱れた毛が敏感な部分に触れて時には傷つけることもあるというのに、まったく無関心だから」
そう言いながら、特有の縮れた毛髪に湿りを与えて櫛を当てた。
葉瑠男の肌に店主の手の温もりが伝わる。それで気づいたが店主は手袋などをはめていない。素手と分かればなおさらのこと、店主が触れるたびにシンボルは硬直するが為すすべもない。
唐突に、「困ったわ」と言う声がした。
顔を少し上げた葉瑠男に見えたのは戸惑う店主の顔。どうやら、葉瑠男の硬直したシンボルを持て余したようだ。
「ごめんなさいね。私の手をはじくほど硬いのに無理に押し付けたりして、痛くなかった?」
「それほどでも」 葉瑠男は首を振って、「だいじょうぶだ」と身振りで伝えた。
戸惑い顔の店主は、
「この仕事もそれほど多く扱ったわけじゃないけど、硬くて困るなんて今までなかった」
そう言いながら、店主は葉瑠男の硬直した一点を指さし、
「これだけ硬かったら、ハサミの先が少し触れただけでも血が吹き出しそうで、怖くて仕事が出来ないわ」
と、困惑する店主。
「あと、毛先を短めに揃えるのと、無駄な部分を剃るのが残ったけど」
店主はどうしょうかと言う顔で葉瑠男を見る。
「次回にしましょうか」
「そうだなぁ」
ふと葉瑠男は、意地悪を言って妙齢の店主を困らせようと思いついた。
「軟らかくなればいいのだろう」
「そうね、手で押さえられるほどならば。じゃぁ、軟らかくなるまで待ちますか?」
「待つよりも、手っ取り早く軟らかくする方法がある」
「そのことなら私だって知っているわ、男の人って出したら元の柔らかさに戻るのが早いって。じゃぁ待っていてあげるから、今すぐに出したら」
困らせようと思った葉瑠男を困らせるほど、店主は恥じらうこともなくサラッと言ってのけた。
「あなたの見ている前で、それも自分で?」
「私に手伝えって言うのかしら」
店主は一瞬、顔を背ける。
「その方が早く済む」
葉瑠男は言い過ぎたと思ったが、いままでの話しの流れが葉瑠男を大胆にした。
「男の人って仕方がないわね、ここは散髪屋なのよ。早く仕事を終えたいから手伝ってあげるけど、こちらの言うことも聞いてね」
まわりには誰もいないのに、店主は葉瑠男の耳元である事をささやき約束させた。
葉瑠男はうなずく。
店主はどのような技を心得ているのか、ただ触れただけなのに、痛みに似た衝撃がシンボルから脳髄へと突き抜け、その後、ひと際大きい快感が数回に渡って葉瑠男を包んだ。
葉瑠男は思いもかけない至福の一時を過ごした。
その後の葉瑠男は呆けたようになり店主のされるままだ。
店主は散髪屋だけに毛髪を扱うのは手慣れたもの。葉瑠男の股間にシャボンを塗り、ニヤリとして仕事にかかった。
約束を果たした葉瑠男の股間に違和感がある。
何だか頼りない気もする。寒々しいと言っていいだろう、股間をひんやりとした風が吹き抜けた。
柔らかいはずの下着が肌に当たって痛い。そう、有るべきところに毛髪がないからだ。
店主のささやいた約束とは、「至福の一時と交換に毛髪を貰い受ける」というものだった。
しばらくは毛髪が生えそろわず、恥ずかしくて人前で裸を晒せないが、思いがけない一時を想えば些細なことだと、その時は思った。
その後、葉瑠男は毛が生えるのを待ったが、いつまで経っても生えてこない。
困った葉瑠男は生えない訳を知ろうと、再び散髪屋を訪ねることにした。
だがどれだけ探しても、かの散髪屋は見当たらなかった。
その後、消沈した葉瑠男はいろいろ手を尽くしたが、股間に黒々とした毛髪が戻ることは無かった。
そう、散髪屋は 「永遠」 に葉瑠男の毛髪を貰い受けて、姿を消したのである。
カウンターの本と腕時計がささやいた。
「若い女の散髪屋が少なくなった頭髪を増やしてくれただって? 何、生えた毛髪は特有の縮れが有る? だとしたら、葉瑠男が無くした毛髪ではないのか」
「毛ッ、そんな馬鹿な」
短くなった蝋燭は溶けて形が崩れ、むき出しになった芯から放つ光は弱々しい。
「灯りと物語が尽きたわね、次を仕入れなければ」
普通のスナックは軽食や飲み物を出すが、この店は 「マスターが語る物語」 が売り物。そして、お客は画面を見ているあなた。
いろいろな店の店主となって亜喜夫、奈津夫、葉瑠男を翻弄し、紡いだ物語を語り終えたマスターがカウンターの本を閉じると同時に、
蝋燭の灯りが尽きてさびれたスナックは闇に溶け込んだ。
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