寂れたスナックで語る物語 第二話 「時計をめぐる物語」
「時計をめぐる物語」
通りを歩いていると路地から少し入った所に時計屋が見える。古くさい店だ。こんな場所で、しかも寂れたような店に客が来るのだろうか?
窓越しに店の中を見てみると案の定、誰もいない。
だが意外にも、店主は女性で若かった。
店主に惹かれた奈津夫はドアを開けて、店の中に入った。
時計を修理中だったのか店主は小さなドライバーを持った手を止め、付けていたルーペを外しながら「いらっしゃい」と言って奈津夫を見た。
投稿者: K.Miyamoto



「見たことも無い人だけど電池の交換? それともベルトの交換? それなら買った店で頼んだ方がいいわよ」
どうにも無愛想な店主だ。
「いや、手ごろな時計があれば、と思って」
「じゃぁ、そこら辺で気に入った物が有ったら、持って行っていいわよ」
ふたたびルーペを着けた店主は、奈津夫を見ることもなくショーケースを指さした。
「でも、値札がないから値段が分からないけれど」
並んでいるのは高級そうな腕時計ばかりだ。店主はルーペを外して机の上に置き、机の縁を回って奈津夫のそばに来た。
「値段? ここにある時計は、前の持ち主が要らないって言ったのを修理して使えるようにしたもの。だから金などいらない。だけど、気に入らなくても捨てないで、必ず返すと約束してくれればそれでいいわ」
そう言った後で店主は、「せっかく動くようにしたのだから」と、付け加えた。
奈津夫は並んでいた中から、気に入った一個を取り出し腕に付けてみた。すぐに時計は腕になじみ、持ち重りや違和感が少しもない。
ただ、時計屋から帰った夜から、奈津夫は艶夢を見るようになった。
真夜中、奈津夫が何かの気配に目を覚ますと、戸締りした家にどうして入ったのか不愛想なあの時計屋の店主が枕元にいて、黙って奈津夫の布団に入って添い寝をした。
店主は奈津夫が店を訪れた時の姿だったし、表情は変わらず無愛想だが、添い寝をすると同時に手を伸ばして奈津夫に触れた。
そんなに手を動かす訳でもないのに、得も言われぬ快感が奈津夫を覆う。
ところが、奈津夫が手を伸ばして店主の体に触れようとした途端、雰囲気は一変する。
嫌がるしぐさこそ無いが、艶然とした店主は奈津夫を更なる快感で覆って拒むのだ。
いつの間にか、奈津夫は夢に出てくる店主の虜となった。
そうして店主はいつの間にかいなくなる。満足して眠りに落ちた奈津夫を見届けて。
毎夜、店主を待つ奈津夫がいた。奈津夫は眠らないで現れる店主を待つがいつの間にか眠りに落ちてしまい、気が付いた時にはすでに添い寝をしていた。
店主は現れると必ず奈津夫に触れる。ところがいつまでたっても店主の体に一指も触れさせず、触れようとすると気持ちが萎えるまで刺激を与え、奈津夫を惑乱させた。そんな夜を繰り返した。
「いつも、店で着ている服のままだが、たまには女らしい装いで来ないか」
「あなたは服装よりも、私の中身に興味が有るのでしょう?」
「それは……」
言い当てられた奈津夫が戸惑っていると、
「いいわよ、今日は特別に体の一部に触れさせてあげる」
「本当か!」
店主は自ら衣服の上ボタンをはずし、奈津夫の手を握って衣服の内部へ導き入れた。
店主の体は奈津夫の予想と違って、滑らかで丸みはあるが硬質で温かみの乏しい肌、竜頭のような乳頭に触れる。
奈津夫はそれよりも店主の心臓の音が気になった。コチコチとまるで時を刻んでいるかのようだ。
「どうだった私の身体、思ったほどじゃないので失望した?」
「いや、あなたの全てに触れてみたい。そうしないと気持ちが治まらない」
「時期がまだ早すぎるわ。もっと馴染んでからでないと」
「どうしたら、馴染める?」
店主は答えない。いつものように快感で覆った奈津夫を眠らせて去った。
翌日、奈津夫は時計屋に向かった。
ドアを開けて店に入ってきた奈津夫を見て、店主は暗黙で「座るように」と椅子を指し示した。
「早くも時計を返しに来たの ?」
「いや、今日はこの時計に何か曰くでもあるのかを聞きたくて」
「何か困る事でも起きたの ?」
「実は」奈津夫は前置きすると、毎夜見る艶夢を打ち明けた。
「私があなたと添い寝?」
とんでもないという顔をするかと思ったが奈津夫の予想と違った。
いつの間にか無愛想な表情は消え、艶然としている。
「それで、どうしたら馴染めるか、明確な答えを聞けなかったのね」
「そうだ」
「答えを知りたい?」
「知りたい」
「で、知ってどうするの」
「できるならば……」
「つまりあなたは、夢に出てくる私の全てに触れたあと」
奈津夫は思い切って店主に言葉をぶつけた。
「添い遂げたいのだ」
「考えさせて」
店主から明確な返事は聞けなかった。
奈津夫は少しでも売り上げの足しになればと思い、着けていた時計のベルトを交換した。
「いらない」という店主に無理やりお金を握らせて店を後にする。
時計屋を訪れたその日の夜から艶夢は途絶え、奈津夫は眠れない夜を悶々と過ごした。店主は奈津夫の訪問を心よく思わなかったに違いない。
今夜も現れないだろうと思うと奈津夫は寂しい気持ちに襲われた。一見すると無愛想な店主だが、時おり見せる妖艶な表情が忘れられない。
「明日もう一度、店を訪ねてみようか」、そう思ううちに眠りについた。
どれだけ眠っただろう、奈津夫は誰かいる気配で目を覚ました。いつもと違った衣服を身に着けた店主が枕元にいた。
「久しぶりだな、服を変えたのだ」
「ええそうよ、選んでもらったの」
「誰に? 他に好きな人でもできたのか!」
「覚えていないの、先日、店を訪れたでしょう、その時にあなたが」
「そんな……、俺は服を選んだ覚えなんかないぞ。そういえば、ベルトの交換はしたが」
「そう、その時選んでくれたベルトの色柄よ、覚えていないの。でも、あなたの知りたいことは、『どうしたら私と馴染めるだろうか』、そうじゃなかったの?」
ここでつまらないことを言って二度と会えないようになっては後悔する。
「その通りだが……」奈津夫は、あっさりと認めた。
店主はいつものように添い寝して奈津夫に触れる。奈津夫はすぐに、得も言われぬ快感に包まれ店主の虜となった。
「約束が有るの」
店主は奈津夫の耳元で何かを囁き、約束させた。
うなずく奈津夫。
奈津夫は、滑らかで丸みはあるが硬質で温かみの乏しい店主の肌を撫でるうちに、気が付けば店主の中にいた。
潤滑油が必要だからか店主の秘密の園は少々油の匂いがするが、歯車の軸を受けるルビーの美しい輝きと規則正しい鼓動がある。いつもより丁寧な刺激に包まれた奈津夫は鋼のように硬い。
「ウッ、俺はもう待てない」
「私も、早く一緒になって」
同時に声を上げ、確かめ合いながら一体となった。ルビーの輝きがある秘密の園は奈津夫を確実に受け止め、どこにも違和感がなかった。
当たり前だ、店主は毎夜、奈津夫の体に触れて強さと相性を確かめたのだ。
奈津夫には憧れた店主と一体になれた喜びがある。
約束通りに、これからの奈津夫はぶれない歯車の一つとなり、店主の規則正しい鼓動を伝えてゆくに違いなかった。
「これでこの時計も、壊れていた歯車を取り替えて蘇った」
翌日の時計屋に新たな腕時計が加わる。その腕時計もまた、店主の虜となった男の腕に収まり店主を男の元へと導くだろう。
店主は新たな時計をそっと撫でてにやりと笑い、展示棚の中の奈津夫が付けて空いていた場所に飾った。
語り終えたマスターは、「もうこんな時間」と、溜息を吐いた。
蝋燭がジジジッと音を立て、影が揺らめいた。
いかにもさびれたスナック。蝋燭の灯りだけの店内は薄暗く陰気な感じがする。
カウンターの上に本が一冊。それと、誰かが使っていた腕時計が一個。
スナックに似合わないものばかりなのに存在感があった。
風もないのに炎が揺れ、マスターの髪を乱した。
蝋燭がジジジッと音を立て、一瞬明るくなって時計の文字盤を照らす。
「もう誰も来ないのかしら」マスターは時計を見ながら、手櫛で髪を撫でつけた。
店内にいる気配の主は、マスターの仕草に紙面をざわざわさせる。
「そういえば、私を探していた人がいたわね」
「分かっている」とでも言いたげに、ページが自然にめくれた。
マスターはページに目をやるがすぐにそらし、そらんじた第三話を話し始めた。
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