みちのく潮風トレイル 浄土ヶ浜 (岩手県 宮古市)

7月25日 (月) に岩手県宮古市の みちのく潮風 トレイル 浄土ヶ浜ルートをトレッキングしてきました。


 天候はご覧の通り、曇りベースで異様に蒸し暑く時々小雨が降る展開でした。


 最近は、天候不順で雷やゲリラ豪雨も多いため山登りはダメですね。 やれやれ。

蛸の浜 (9:15発) → 浄土ヶ浜 → ビジターセンター → 御台場展望台 → 館ヶ崎展望所 → 竜神崎展望所 (10:45着) 往復約3時間のトレッキングでした。(休憩含む)



 


みちのく潮風トレイル 浄土ヶ浜_1 蛸の浜
Photo by Kirishima


風光明媚な蛸の浜  


 奥が蛸の浜の集落、右側の方が漁港になっています。


 浄土ヶ浜 の白い岩とは対照的で、いたるところに穴の開いた茶褐色の奇岩が立ち並び、ワイルドなビーチになっています。

 蛸の浜は、浄土ヶ浜の裏側あり、東日本大震災前は、海水浴客や釣り客などで賑わっていたそうですが、今は観光客もほとんど来ないため穴場的ポイントになっているとのこと。




前回の みちのく潮風トレイル

 → 「みちのく潮風トレイル 箱崎半島突端部 (岩手県 釜石市)」(Anthony's CAFE 2022/07/26)








投稿者: 霧島

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みちのく潮風トレイル 浄土ヶ浜_2 明治三陸大津波記念の碑


蛸の浜の集落にあった明治三陸大津波記念の碑 (慰霊碑か?)


 明治29年6月15日に発生した地震に伴う大津波が三陸沿岸部を襲い、全半壊家屋1万戸以上、死者約2万2千人という大惨事になったとのこと。





みちのく潮風トレイル 浄土ヶ浜_3 手掘りトンネル?


蛸の浜から浄土ヶ浜へは、手掘りのようなトンネルを通って行きます。





みちのく潮風トレイル 浄土ヶ浜_4 浄土ヶ浜


超有名な観光スポットの浄土ヶ浜300


 浄土ヶ浜は、約300年前にここを発見した霊鏡和尚が 「さながら極楽浄土のようだ!」 と感嘆したことから名付けられたと言われいます。


 まさに、極楽浄土! 絶景です。





みちのく潮風トレイル 浄土ヶ浜_5


浄土ヶ浜の白い岩


 石英を多く含んだ白い火成岩 (石英粗面岩) が海岸に露出しいてるのは、ここ浄土ヶ浜だけだそうです。


 不思議ですね。 是非 『ブラタモリ』 で、やっていただきたいと思いました。(笑)





みちのく潮風トレイル 浄土ヶ浜_6 土方歳三の写真パネル


浄土ヶ浜のレストハウス前にあった土方歳三の写真パネル


 「なんでこんなところに土方歳三の写真パネルが ・・・?」 と思う人がほとんどだと思います。


 でも、新選組ファン、土方歳三ファンなら瞬時に解ります。(笑) 

 なぜかと言うと、明治22年にここ浄土ヶ浜のある宮古湾で海戦があったのです。

 明治2年戊辰戦争末期、箱館共和国、蝦夷共和国を目指した幕府海軍の指揮官 榎本武揚 (えのもとたけあき) は、三隻の軍艦を率いて江戸を脱出。

 途中、仙台、松島で土方歳三ら新選組十数人を乗船させ、宮古湾に停泊している新政府軍の軍艦と一戦交えるため宮古湾に向かいました。

 軍艦同士が接舷し、土方歳三ら新選組が切り込んで戦いましたが、新政府軍のガトリング銃で応戦され幕府軍は敗退。 箱館へと敗走したのでした。





みちのく潮風トレイル 浄土ヶ浜_7


御台場展望台より望む


 高度感がすごいです。


 ここからは、浄土ヶ浜の白い岩が連なる半島全体が見渡せるのですが、この日は、やませ (冷たく湿った北東よりの風) が吹き付け、 ガスが漂い始めて展望は全くダメでした。

 いやー、非常に残念でしたね。





みちのく潮風トレイル 浄土ヶ浜_8


浄土ヶ浜ビジター・センターからは、展望のない樹林帯の中を小さなアップ・ダウンを繰り返しながら進んで行く。


 涼しいとは言え、湿気が異様に多いので歩いていると大量の汗をかきます。 かなりうっとうしい!


  「やませ 」 は、かなり厄介です。





みちのく潮風トレイル 浄土ヶ浜_9 竜神崎展望所


終点の竜神崎展望所


 宮古漁港近くの高台にあり、宮古市街地を一望できます。


 ここの下の浜には、竜神様を祀っている神社があるそうです。


 晴れていれば百名山の早池峰山が見えるそうですが、今回はご覧の通りダメでした。





みちのく潮風トレイル 浄土ヶ浜_10 「みやこ風シーフードラーメン」 大盛

1200
「みやこ風シーフードラーメン」 大盛 1200円


 帰りに、「シートピアなあど」 (道の駅みやこ) に寄ってかみさんのお土産を買い、少し遅いランチを頂いてきました。


 カニ、エビ、ムール貝? モクズ、テングサ、ワカメなどがたっぷりと入っていて、磯の香プンプンの非常に美味しいラーメンでした。

 ちなみに 「なあど?」 とは、宮古地域の方言で 「どうですか?」 「いかがですか?」 という意味です。



 → シートピアなあど HP


 → 環境省 みちのく潮風トレイル HP


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コメント 22

There are no comments yet.
ももPAPA
2022/08/08 (Mon) 22:05

こんばんわ♪

浄土ヶ浜 
ここも昔、地震によって隆起してできたのかもしれませんね。
先日紹介させて頂いた石見畳ケ浦とよく似ています。
https://www.kankou-hamada.org/guidepost/6219

utokyo318
2022/08/09 (Tue) 06:49

こういう風景を見ていると、穏やかな気持ちになりますね(^ ^)
平泉しか行っていませんが、岩手もまだまだ良いスポットがありそうです。

霧島
2022/08/09 (Tue) 18:42

>ももPAPAさん

こんばんは。
確かに岩見畳ヶ浦とよく似てますね。この辺り一帯、三陸沖は
地震の巣ですのでその可能性があると思います。
梅原猛さんが書いてましたが、島根県には、昔、地震で水没した
島があるようですね。

霧島
2022/08/09 (Tue) 18:43

>utokyo318さん

そうですか、ありがとうございます。
たしかに、平泉と同じで極楽浄土の景観ですので穏やかな気持ちになりますね。
そうですね、イーハトーブ岩手は、自然景観だけでなく、賢治、啄木関連の
見どころも沢山あります。

☘雑草Z☘
2022/08/09 (Tue) 20:50

浄土ヶ浜は、二十歳の頃一人で行ったことがあります

浄土ヶ浜の写真の光景は記憶にあります。
ただ、この記事を観て、個人的には
通った事のない手掘りのトンネルを通り、行ったことが無いであろう蛸の浜に行ってみたいです。

ももPAPA
2022/08/10 (Wed) 11:59

To 霧島さん

こんにちわ♪

おそらくそれは鴨島かもしれませんね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%A8%E5%B3%B6_(%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C)

霧島
2022/08/10 (Wed) 18:39

>雑草Zさん

そうですか。行ったことがありましたか!
わたくしも20代のころ海水浴で浄土ヶ浜に行ったことがあります。
今回は2回目でした。当時は、白い細い半島にも自由に入ることが
できて、半島の先端の方でも海水浴ができましたが、今は一切
立ち入り禁止になってますね。
蛸の浜は初めて行きましたが、素晴らしい所でした。
浄土ヶ浜よりも観光地化されてなくて良かったですね。

霧島
2022/08/10 (Wed) 18:40

>ももPAPAさん

こんばんは。
リンクを拝見いたしました。そうです、思い出しました。鴨島です。
梅原猛さんは、あの有名な歌人柿本人麻呂の終焉の地は鴨島だと
書いていましたね。

ももPAPA
2022/08/10 (Wed) 23:54

To 霧島さん

Wikiによれば・・

柿本人麻呂の辞世の句とされる「鴨山の岩根し枕けるわれをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ」(『万葉集』233)の「鴨山」がどこであったのか、すなわち柿本人麻呂の終焉地がどこであるのかについて、前述のとおり地元では鴨島にあった鴨山を終焉地とみなしているが[5][6][4]、江戸末期から明治期の国学者である藤井宗雄は、著書『石見国名跡考』で浜田の亀山を支持する立場から、高津鴨島説に対して「万寿の海溢に托して、遁辞せるなり。」と述べてこれを否定した[15][17][32]。また、歌人の斎藤茂吉も1936年(昭和11年)に発表した著書『柿本人麻呂』の中で「それが万寿の海嘯でなくなったとしても、どういふ作用でなくなったか、もっと科学的に説明が欲しい。さういふ研究論文の有無を知らぬのである。」と高津鴨島説を非科学的と否定した上で、新たに邑智郡粕淵村(現在の美郷町)湯抱の鴨山であるとする説を立てた[17][32][33]。

これらの疑義に対して、地元の郷土史家矢富熊一郎は、1964年(昭和39年)に『柿本人麻呂と鴨山』を著し、地理的な考察を以てこれに反論した[3]。また、伝承から推測される地盤の隆起・沈降のパターンは1872年(明治5年)に発生した浜田地震によるパターンと一致すると指摘されている[16]。

のように記載がされてますね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%A8%E5%B3%B6_(%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C)

霧島
2022/08/11 (Thu) 13:18

>ももPAPAさん

こんにちは。
大昔ですが、梅原猛さんの「水底の歌-柿本人麻呂論-」を読んだ
ことがあったので、柿本人麻呂の終焉地島根県益田市沖の鴨島の事を
覚えていました。この本で梅原猛さんは、歌人斉藤茂吉の説に
真っ向から異を唱え反論しましたね。けっこう面白かったと記憶してます。

やはり鴨島は地震で沈んで消滅したと思います!?

ももPAPA
2022/08/12 (Fri) 00:57

To 霧島 さん

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%A8%E5%B3%B6_(%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C)#cite_note-%E8%AA%AD%E5%A3%B2-3

上のWikiの解説によれば、梅原猛氏の調査と、地球物理学者の松井孝典氏の調査で 鴨島の存在の大前提となる万寿の地震と津波は確かにあり、伝承が正しかったと科学的にいえるのではないか」と報告した[6]。ただし、これらによっても大津波の存在が裏付けられたに過ぎず、鴨島跡を特定するまでには至っていない[3]。

とありますね。 真実はどうなんでしょう。

霧島
2022/08/12 (Fri) 20:41

>ももPAPAさん

こんばんは。
わたくしは、伝承や口伝の情報はほとんど真実だと思っていますので、
鴨島も鴨島の鴨山も実際に存在したと思っています。
まあ、なんというか信じたいですね。
もっとも伝承、口伝は、誇張、大げさ、ウソ、膨張などもあるので
そのまま鵜呑みに信じるのはどうかなー??とは思いますが・・・・

ももPAPA
2022/08/14 (Sun) 02:52

To 霧島 さん

こんばんわ♪

上のWikiの中に、

歌人の斎藤茂吉も1936年(昭和11年)に発表した著書『柿本人麻呂』の中で「それが万寿の海嘯でなくなったとしても、どういふ作用でなくなったか、もっと科学的に説明が欲しい。さういふ研究論文の有無を知らぬのである。」と高津鴨島説を非科学的と否定した上で、新たに邑智郡粕淵村(現在の美郷町)湯抱の鴨山であるとする説を立てた[17][32][33]。
とあるのですが、これについても確かなものではないようです。

その、邑智郡粕淵村(現在の美郷町)は私の母の実家があるところで、子どもの頃 夏休みに母の実家に いとこに会いによく行ったものです。
http://hotcafe1025.blog114.fc2.com/blog-entry-2577.html

霧島
2022/08/14 (Sun) 18:23

>ももPAPAさん

こんばんは。拝見しました。
なんと、そうでしたか、そうするとやっぱり柿本人麻呂の終焉の地は
石見の国美郷町鴨山であっと思いたいですよね(笑)
梅原猛さんは、斉藤茂吉の説の矛盾点をとことん突いて論破して、
自説は正しい、間違いない! と書いてますね。
ざっくり言うと柿本人麻呂は石見の国に追放、流罪になり、地震で
消滅した鴨島の鴨山で処刑されたそうです。
「崇徳天皇、聖徳太子、柿本人麻呂、菅原道真、平将門、源義経は
みんな不幸な死に方をした。だから、彼らの霊の姿は怨霊である」
なんて言ってます。確かに、大災害をもたらすという日本三大怨霊は
崇徳天皇、菅原道真、平将門になってます。

ももPAPA
2022/08/15 (Mon) 13:07

To 霧島さん

こんにちわ♪

柿本人麿を祀る柿本神社は日本各地に存在しますが、益田市の柿本神社はその本社を主張していて鎮座地は丸山の東に張り出した尾根筋の鴨山(高角山)山頂に位置し、境内を含めた一帯は祭神にちなんで、昭和50年代から島根県立万葉公園として整備されています。
ということのようです。

万葉公園は現役時代、家族で何度か行ったことがあります。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%B4%A5%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE

人麻呂の有名な一句を・・

石見のや 高角山の 木の間より 我が振る袖を 
妹見つらむか 
                柿本人麻呂

(いわみのや たかつのやまの このまより わがふる
 そでを いもみつらんか)

意味・・石見の、高角山の木の間から名残を惜しんで
    私が振る袖を、妻は見てくれたであろうか。

    国司として石見にいた人麻呂が、結婚して間も
    ない現地の妻を残して上京する時の歌です。

 注・・石見=島根県西部地方。
    石見や=石見の。「や」は間投助詞で強調・呼
     びかけの意を表す。・・よ。・・だなあ。
    高角山=島根県都野津町付近の高い山。

霧島
2022/08/15 (Mon) 20:58

>ももPAPAさん

こんばんは。
そうですか、柿本人麻呂を祀った神社は各地にあるんですね。
でも、本社は益田市ので間違いないでしょう!

梅原猛さんによれば、時の権力者によって追放、流罪、刑死された
崇徳天皇、柿本人麻呂、平将門、源義経などは、死ぬとすぐに「神」に
なり丁重に祀られたそうです。なぜかと言うと、彼らが怨霊となり禍、
大災害をもたらすのを極度に恐れたからだそうです。
たしかに、征夷大将軍になって鎌倉幕府を開いた源頼朝の早すぎる
謎の死は、源義経の怨霊のせいだと言われています。

ももPAPA
2022/08/15 (Mon) 23:25

To 霧島さん

こんばんわ♪

それって怖い話ですよね。
武士の怨霊ってとりわけ怖いです。 結った髪を振り乱し
鎧を着て刀傷だらけで、カっと見開いた目がギラギラと輝き
恐ろしい形相で見据えながら近づいてくる
 "ぎゃぁぁぁぁ~・・" 😭

霧島
2022/08/16 (Tue) 09:35

>ももPAPAさん

おはようございます。
そうですね。多くの大厄災を京都にもたらしたとされる大怨霊の
崇徳天皇よりも凄い驚異の大怨霊は、武士の平将門でしょう!
平将門は坂東武者で朝廷に反逆したとみなされて討ち死にし、その首が
京都に晒されました。なんとその首が関東まで飛んできたそうです。
それ以降、1000年にもわたって昭和の初めまで祟り、大厄災をもたらしたとか。

旧神田明神があった東京大手町のビルの谷間の一角に平将門の首塚があり、
連日多くの参拝人が来ています。その圧倒的な祟りパワーによるご利益を頂き
たいということなのでしょう。わたくしも数年前にお参りして来ましたが、
そのときも多くのビジネスマンが参拝に来ていました。
ここは、仕事運アップ、東京大手町のエリートビジネスマンの聖地、
パワースポットになっています。

ももPAPA
2022/08/17 (Wed) 00:12

To 霧島さん

こんばんわ♪
平将門 そんな言い伝えがありますね。恐ろしいです。
東京大手町に平将門の首塚があるとは・・それもまた凄いことですね。
祟られないようにパワーを頂けるといいですね。(^^;)

霧島
2022/08/17 (Wed) 21:59

>ももPAPAさん

こんばんは。
旧神田明神に平将門が祀られてから、神田明神は江戸の守護神になりました。
平将門に祈願すると、勝負に勝つ!商売に勝つ!ビジネスに勝つ!と言われています。
東京に夏の訪れを告げる「神田祭」は素晴らしいですね!!

ももPAPA
2022/08/18 (Thu) 10:52

To 霧島さん

おはようございます♪

神田明神は江戸の守護神 それは凄いですね。
将門のパワーは偉大ですね。

霧島
2022/08/18 (Thu) 12:12

>ももPAPAさん

こんにちは。
平将門を信仰していたという徳川家康は、関ヶ原の合戦を前に、
平将門を祀っている神田明神に戦勝祈願して見事に勝利しました。
わたくしも是非平将門の大怨霊パワーにあやかりたいですね(笑)

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