震災遺構 大川小学校・南三陸復興祈念公園 (宮城県 石巻市・宮城県 南三陸町)

東北6県+北海道在住者限定の宿泊割引&クーポン券付きプランが、5月末まで延長されました。


 ただし、 「ゴールデンウイーク期間中は除く」 です。


 これは行くしかないと思い、4月27 (水) に宮城県南三陸町の 「ホテル観洋」 に、かみさんと一泊して震災遺構、伝承館、復興祈念公園を巡ってきました。





震災遺構 大川小学校・南三陸復興祈念公園_1
Photo by Kirishima


2011年3月11日の東日本大震災の津波により、大川小学校 の児童、教職員84名が犠牲になり 「大川小学校の悲劇」 として広く知られるようになりました。

 
 大川地区全体で418名の方が犠牲となったのです。 


 この日も、仙台の中学校から多くの見学者が来ていました。







投稿者: 霧島

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震災遺構 大川小学校・南三陸復興祈念公園_2


校舎と体育館の間の渡り廊下


 コンクリートの柱ごとねじり倒されていました。


 2方向から来た巨大津波がぶつかり合い渦を巻いて襲ってきたそうです。

 思わず、絶句してしまいました。





震災遺構 大川小学校・南三陸復興祈念公園_3


野外ステージの壁画


 なぜかこの部分だけが残っていました。


 宮沢賢治、銀河鉄道の夜、世界が全体に幸福にならないうちは個人の幸福はありえない、アメニモマケズ、カゼニモマケズ、ツナミニモマケズ・・・・・・





震災遺構 大川小学校・南三陸復興祈念公園_4


校庭脇の裏山から撮影、大川小学校を俯瞰する。


 正面山の下を流れているのが北上川で右側が河口です。


 海までの距離は、僅か4キロ足らず。





震災遺構 大川小学校・南三陸復興祈念公園_5


校庭脇の裏山


 コンクリートで土留めをして山が崩れないようにしてありテラス (画像上部、中学生がいるところ) になっていました。


 これは、震災前からあったものです。ここには、体育館裏の杉林 (シイタケ栽培体験学習の場) から小学校低学年でも簡単に登ることができるのです。

 津波は、このテラスの下までしか来ませんでした。 このテラスに避難していれば全員が助かったのです。

 「なんで、50分以上も時間があったのに、ここに避難しなかったのが!!??」 と、今でも非常に悔やまれます。





震災遺構 大川小学校・南三陸復興祈念公園_6


大川震災伝承館


 地震発生から津波が到達するまでの当日の出来事が時系列で詳しく見ることができます。


 あと、裁判に関するコーナーもありました。





震災遺構 大川小学校・南三陸復興祈念公園_7


南三陸町震災復興祈念公園


 南三陸町では、津波による死者・行方不明800人以上、消失家屋3000軒以上と壊滅的な状況でした。


 まさに、 「町が、人が、消えた!」 です。





震災遺構 大川小学校・南三陸復興祈念公園_8


震災遺構 「旧防災対策庁舎」


 高さ15メートルの津波は、建物を完全に飲み込んだ!


  ここでは、町の職員ら43名が犠牲になりました。





震災遺構 大川小学校・南三陸復興祈念公園_9


同じく震災遺構 「旧防災対策庁舎」


「小学1年生だったあの日、この目で見たものは まだ私の中で鮮明に生き続けている。どうかこの町が大好きだったあの日のように活気と人々の笑顔であふれる町になりますように。」





震災遺構 大川小学校・南三陸復興祈念公園_10


ホテル観洋で管理している震災遺構 「高野会館」


 結婚式場だったこの建物は、屋上に避難していた327名の命をギリギリのところで救ったそうです。


 なんと、足元まで津波が来ていたとのこと。 まさに奇跡です。





震災遺構 大川小学校・南三陸復興祈念公園_11


志津川湾にある 「サンオーレそではま海水浴場」 西側


 ここも津波で全て消失しましたが、今ではすっかり復旧・復興していました。

 近くには、キャンプ場もありましたね。


 → 石巻市震災遺構 HP


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コメント 4

There are no comments yet.
☘雑草Z☘
2022/05/03 (Tue) 17:22

大川小学校(跡地)には、震災の翌年2度行きました。

 大川小学校跡地に行くのが目的でしたから、岩手と宮城の友人宅に行く時に、遠回りして行きました。現場はまだ津波の足跡が大きく残っていて、何とも言えぬ重々しい雰囲気が漂っていました。

 全く責任が問われませんでしたが、津波の高さをかなり低めに予測した気象庁も大きな責任があったと思います。過小な高さを発表するくらいなら、予測の高さなど発表すべきではなかったと思います。
 河口付近から大川小学校に避難してきた、出しゃばりな住民が、津波の予測の高さと、数日前に起こった予測を遥かに下回る、大した事がなかった地震の津波の「わずかな経験」を元に、「避難すべきでない」と教師に言い張ったのも酷かったし、その言葉に惑わされた教頭や他の先生方も残念でした。逃げたかった生徒も避難させられずに、津波に飲み込まれたことを思うと、悔しい限りです。本人も親も無念過ぎます。
 いざという時の、咄嗟の判断は、難しいものですが、だからこそ、避難訓練していた裏山に逃げるべきでした。

 岩手県三陸地方では「津波てんでんこ」って言葉が昔からあったようですが、岩手県の小中学校では、殆ど訓練通り避難して、さらに、咄嗟の判断で、訓練の時よりも更に高いところまで逃げて全員助かった例もありました。あの報道を見て、岩手県の三陸の小中学校の先生方の指導は素晴らしいな・・・と感動しました。

 とても対照的で、冷徹で、ある意味、残酷な現実でした。

utokyo318
2022/05/04 (Wed) 05:34

今も行方不明の方が大勢いらっしゃって、まだまだ震災は終わっていないと感じますね。
神戸にも震災について学ぶ施設がありますが、こういう施設は今後もずっと残してほしいと思います。

霧島
2022/05/04 (Wed) 16:26

>雑草Zさん

そうでしたか。大川小学校や津波に対する強い思い入れがあったからこそ
震災の翌年に2回も行かれたのでしょうね。凄い行動力だと思います。

おっしゃる通り、「津波てんでんこ」の言い伝え(標語)を元に教育し、
避難訓練をしていた岩手県釜石市内の生徒3000人は全員が助かったそうですね。
こちらは「釜石の奇跡」として知れ渡りました。素晴らしいことです。

霧島
2022/05/04 (Wed) 16:27

>utokyo318さん

おっしゃる通りだと思います。
震災遺構を残す事は、賛否両論ありますが、絶対に残して震災を
知らない子どもたちに語り継ぐ場にするべきですね。

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