大熊中学校が、こんなところに!

大熊中学校が、こんなところに!_1
Photo by Zassou Z  撮影場所: 会津若松市  看板左の自転車は愛チャリ


「大熊町」ってご存知でしょうか?・・・


 と言うよりも覚えていらっしゃいますか?


 ・・・10年前には多くの人が覚えたであろう、世界的に有名になった町の名前です。。。。



 目的地に自転車で行くのに、色んな道を試します。

 この春から週に何度か行くようになった新たな勤務地へ、早速いろんな道を試しました。

 4月当初、かなり遠回りして行ってみたら、目的地近くで道に迷いました。

 
 そしたら何と、思いがけない看板を見付けたのでした。。。。。








投稿者: 雑草Z

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あっ!・・・こんなところにあったんだ!


  ・・・ そう、ここに大熊町立大熊中学校があったのです。


 福島第一原発で事故を起こした1号機から4号機までがあった大熊町は、原発爆発後、町ごと会津若松市に移転してきました。

 仮設住宅、町役場、そして小学校、中学校 ・・・

 ・・・ と言っても、他の場所に移り住んだ人も沢山いました。 だから、大熊町の大熊中学校に通っていた生徒も何割かだけここの校舎に移って来たのです。

 仮設住宅や町役場は取材に行ったこともあり、設置された当初の頃から場所を知っていました。

 仮設住宅は丘の上のちょっと不便な場所の何箇所かに分かれてありました。

 大熊町役場(その後、会津若松出張所に変わりました。) は、市街地真ん中のお城の近くにある旧若松女子高の建物でした。

 しかし大熊中学校の場所は知りませんでした。 その建物は、素敵な環境の県立の短大のグランドの東奥に、ひっそりと立っていたのでした。





大熊中学校が、こんなところに!_2
4月の福島県立会津短期大学のキャンパスの南側
 右側の垣根の向こうに広い校庭があり、その奥に大熊町立大熊中学校の校舎が小さく見える。
 

仮設住宅と町役場と中学校は、それぞれかなり離れた場所に設けられたのでした。(大熊町にあった2つの小学校も一つにまとまって、また別の離れた場所に設けられました。)

 
 この、大熊中学校仮設校舎の場所はこれまで知りませんでしたが、ここの中学校を卒業した人は何人か知っていました。

 
 卒業後、会津若松市内の高校に進学して、その後、環境のいい会津短大に進学した人もいた事でしょう。

 会津でお店をやったり、働いている人もいました。

 元の大熊町民は、現在大熊町(の避難解除された場所)に戻った人、県外に出て行った人、会津に家を建てて永住を決めた人、・・・ 様々です。


 当然のことながら、この大熊中学校仮設校舎に通う生徒は年々減少して、この春最後の3人が卒業して、この仮設校舎は歴史を閉じたのでした。

 しかし、会津若松市にある大熊中学校はまだ歴史を閉じた訳ではありません。

 この4月からは、市内の別の場所にある、旧大熊町にあった2つの小学校(熊町小学校・大野小学校)の合同の校舎に大熊中学校も仲間入りして、3校合同の校舎になってまだ存続するのです。

 
 原発の爪痕は人間の一生よりも遥かに永く残るのです。

 原発震災から今年で10年ですから、ここ会津若松市の大熊中学校仮設校舎の卒業生142名は年長者でもまだ20代半ばです。

 そう考えると、原発震災は、まだ、遠い日の話ではありません。 

 でも、会津若松市の何人かに確かめてみましたが、会津若松市民でさえも、この場所に大熊中学校があったことを知っている人はそれほどいませんでした。

 既に十年、されど十年。。。。何とも感慨深いものがありました。





大熊中学校が、こんなところに!_3
会津短大のグランドの東端の大熊中学校との境界付近に植えられた大熊中学校卒業祝植樹。
 毎年1本ずつ植樹されてきたようです。





大熊中学校が、こんなところに!_4
解体されてしまった大熊中学校仮設校舎跡。 奥に見えるのが会津短大。
 

 6月最後の日に、大熊中学校の校舎の写真を撮ろうと行ってみたら、校舎は既に解体されていました。

 
 悲しむべきことでは無いのでしょうけれど、震災で津波に流された沿岸の数々の校舎跡地の記憶とオーバーラップして、悲しい気分になりました。
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コメント 16

There are no comments yet.
JDA
2021/07/07 (Wed) 23:03

愛チャリ・雑草Z号はスポーツ・タイプですね。
僕のママチャリ27インチとは大違いです。(笑)

☘雑草Z☘
2021/07/08 (Thu) 00:01

JDAさん

 愛チャリも確か大きいタイヤで27インチくらいだったと思います。タイヤが細くてスピードは出ていいんですが、疲れます。この前に乗っていたマウンテン・バイクタイプのタイヤの太めの自転車は、自転車を軽く漕いでいる時には自転車の上でくつろげましたが、今の細いタイヤはパンパンに張って乗り心地が硬くて、くつろげず疲れます。それにすぐにパンクします。でも、今まで乗った自転車で一番のお気に入りです。リアバックには合羽、ワイヤー錠、ヘッドランプ、買い物袋、ゴムバンド、手拭い・・・など必要な七つ道具を入れてます。
 お互いチャリ友で頑張りましょう!

utokyo318
2021/07/08 (Thu) 06:10

津波で行方不明になった方も大勢いらっしゃいますし、まだまだ震災の影響は残っていますよね・・・・
中学校の卒業生の方のご活躍を、陰ながら祈っています。

霧島
2021/07/08 (Thu) 08:46

かなり前ですが、

車で6号線を下っていわき市の白水阿弥陀堂や勿来の関跡、夏井川渓谷なんかを見に行ったときに、
大熊町は通ったことがあります。その時、福島第一原子力発電所も遠くからでしたが見ましたね。

☘雑草Z☘
2021/07/08 (Thu) 21:11

utokyo318さん

大きな津波被害のあった岩手、宮城、福島の3県の中では、直接の津波による人の被害は一番小さかった福島県ですが、原発事故で行方不明者の捜索も長い間出来ませんでした。浜の復興も岩手、宮城と比べ非常に遅れています。未だに帰宅困難区域があります。
 今年の大熊中学校の卒業生は、中学校どころか、小学校の入学から会津若松市内の校舎に入学した事になります。もう会津若松市が第二の故郷というか、もしかしたら第一の故郷かも知れません。

☘雑草Z☘
2021/07/08 (Thu) 21:20

霧島さん

大熊町を通られたのは原発震災前ですか?
震災前は、原発周辺の相双地区(相馬・双葉地区;原発のあった浜通りの北部の地区)の人は少しの同僚くらいしか知らなかったのですが、震災後会津に非難されて来た方が非常に多く色々な方と顔見知りになりました。私の町にも、葛尾村の方々が沢山避難してきました。(それまで葛尾村は知りませんでした。)浪江町の老舗和菓子屋さんも避難されて来て、私の住む町にお店を出しています。

霧島
2021/07/09 (Fri) 07:33

雑草Zさん

行ったのは、東日本大震災の15~16年前です。
当時、福島第一原発の施設を遠くから眺めて、これで東北の未来は明るい!!と思ったものでした。

☘雑草Z☘
2021/07/09 (Fri) 08:34

霧島さん

>行ったのは、東日本大震災の15~16年前です。

って事は20世紀のことですね?!
大熊町などあの辺の町村は強く誘致して原発を建設してもらいました。町長や県知事、議員なんかも沢山裏金を貰っていたという噂は絶えません。
 私の同僚だった冨岡町出身者は、
「放射能で汚染されるから、この町に将来はない」って高校生の頃から思っていたそうです。そしたら危惧していた原発震災が起きました。

霧島
2021/07/09 (Fri) 13:40

雑草zさん

東日本大震災前までは、原発には大賛成でした。
産業も雇用も何も無い疲弊した地方を救う救世主
だと、単純に思っていましたね。
バカでしたね!(笑)

☘雑草Z☘
2021/07/09 (Fri) 21:00

霧島さん

 福島県の浜通りの北部の相双地区は、確かに産業不足で雇用も少なかったと思います。会津の方が歴史が古く昔はずっと栄えていました。
 だから、相双地区は、原発に頼ったんですね。麻薬みたいなモノです。電力会社や国から箱物ばかり作ってもらって、運営費は払ってもらえず自腹で、赤字になり、その為2号機、3号機・・・と補助金目当てに次々と原発を建設していきました。それが電力会社と国の常套手段です。それでも夕張市のように財政破綻しそうな町もありました。
 ある意味自業自得な部分もありますが、とばっちりを受けたのが、原発の恩恵を受けるどころか、原発で負のイメージを植え付けられた農業、漁業の方々です。飯館村など、酪農で「最も美しい村」にも選ばれたのに、原発事故で元も子も無くなってしまいました。

JDA
2021/07/10 (Sat) 00:16

>タイヤが細くてスピードは出ていいんですが、疲れます。この前に乗っていたマウンテン・バイクタイプのタイヤの太めの自転車は、自転車を軽く漕いでいる時には自転車の上でくつろげましたが、今の細いタイヤはパンパンに張って乗り心地が硬くて、くつろげず疲れます。それにすぐにパンクします。

マウンテンバイクの太いタイヤは、地面との接地面が大きくて安定しているけれど、スピードを出そうとすると力がいるので、疲れます。
それにハンドルがドロップ・タイプやストレートのものは、前傾姿勢になるので、腰痛持ちの僕には耐えられません。
なので、僕は日本が誇るママチャリを愛しています。(笑)

☘雑草Z☘
2021/07/10 (Sat) 10:43

JDAさん

 確かにドロップハンドルは疲れます。急坂を下る時とか、もの凄いスピードを出す時以外はもっと内側の部分を握っています。その為にそこからでも掛けられるブレーキの補助レバーを付けています。

>僕は日本が誇るママチャリを愛しています。

 スピードが出ないし長距離にはちょっと不向きかも知れませんが、確かにママチャリが一番実用的で疲れないかと思います。自転車漕いでてもくつろげますしね!愛する気持ちが伝わってきます。
 余談ですが、前の自転車はタイヤだけマウンテンバイクのようにちょっと太めでしたが、スポーツタイプでしっかりした作りでした。かなり沢山乗って酷使し過ぎて、ギアもすり減って全部取り替えました。フレームとサドル以外全パーツ1度は取り替えた感じです。
 最後の数年は思いもよらない壊れ方をしました。泥除けが前にズレ落ちて急停車して前につんのめったり、切り替え用のギアが割れたり、挙句はベアリングが潰れて車軸がガタガタにブレて運転不能になりました。
 自転車屋に「ここまで乗った人は見たことない、これ以上乗ったら命の危険があるから乗ってはいけない。」と言われて替えました(笑)

JDA
2021/07/16 (Fri) 00:20

>自転車屋に「ここまで乗った人は見たことない、これ以上乗ったら命の危険があるから乗ってはいけない。」と言われて替えました(笑)
究極のエコですね!
でも、命は大事です。

☘雑草Z☘
2021/07/17 (Sat) 00:01

JDAさん

>究極のエコですね!でも、命は大事です。

 十年近く乗りましたが、パーツが壊れる度に新品に交換していたので、自転車が古くなった感じはあまりしませんでした。流石に車軸がガタガタになる事は珍しいようです。後輪でしたが、実際に乗ってみなければ説明するのは難しいです。車輪がブレて制御不能で怖くて2、3mも乗れませんでした。自転車屋さんまで10kmほど後輪を持ち上げて引いて行きました。

tanoken
2021/07/18 (Sun) 10:19

プレハブ校舎で勉強することは僕も小学生時代に経験があります。
但し原発ではないですが。
子供が沢山いた時代なので、校舎の教室に人が入らなかったので、
学校としてプレハブを建てて対応しました。
確か3年生の頃の1年間だったと思います。
教室の中は砂埃が沢山あって、いい環境ではなかったことをうっすらと覚えています。

☘雑草Z☘
2021/07/18 (Sun) 16:23

tanokenさん

>子供が沢山いた時代なので、校舎の教室に人が入らなかったので、学校としてプレハブを建てて対応しました。

tanokenさんは第2次ベビーブームの世代ですね?今その小学校は、プレハブも必要ないどころか、元々の校舎も空き教室が目立つでしょう。おそらくtanokenさんが通っていた頃の半分の生徒数もないのでは?

大熊中学校は現在、大熊町にあった熊町小学校・大野小学校と共に、3校合同の、会津若松市の統合されて廃校になった小学校キャンパスに移りました。生徒の数も小中合わせて2、30人くらいでしょうから十分な広さと施設かとは思いますが、逆に寂しいかなとも思います。

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