あれから 十年

この3月11日で、東日本大震災からちょうど十年です。
阪神・淡路大震災との大きな違いは、直接の地震の揺れによる被害よりも、津波による被害が甚大であったことと、国や東電が絶対安全だと言っていた原発がメルトダウンを起こした事でしょう。
津波の動画はYouTube等に沢山アップされています。 虚構のパニック映画では無い、実録映像です。
普通の日常に突然起こった辛い現実が迫ってきます。 動画を撮りながら悲鳴をあげる人、道にいる人に 「上がれ、上がれ! 」「逃げろ、逃げろ!」 と大声で叫ぶ人、泣き叫ぶ人 ・・・
私は時おり、これらの動画を観て、色々な意味で自戒としています。
その一つをご紹介します。
投稿者: 雑草Z



釜石の津波女将 1/2 宝来館 岩崎昭子 landlady was shed tsunami (YouTube 動画)
高台に避難した人々。 はじめは大事には至らないだろうと、けろっとしていた子供達。
その直後、自分たちの街が津波に流されて飲み込まれていくさまを観て、呆然としている大人たちの傍で、大声で泣き出してしまいます。
号泣していた女の子は、家族や友達のいる家が目の前で津波に流されたのです。
もらい泣きしてしまいます。 2分10秒のあたりです。
映像にはありませんが、この後津波はもっと高くまで上がって、2分02秒 ~ 05秒の画面下に映っている3階建ての建物の屋上にいる人も飲み込んでしまいます。(彼は津波に飲まれた後運良く助かります。)
5分28秒 ~ 7分20秒は、津波から逃げて脱出する人々のシーンです。
「はやぐ来て!はやぐ上がってきて!はやっ~く~う~!」
「来た、来た、来た!はやく、はやく、はやく、はやぐ~」
「あ”~、ほらはやぐ~!ほらぁ~はやく~やぁ~~」
「あっあっあっあ~っ あ~っ」
「おかあさ~んっ」
と叫ぶ人達。 何度見ても臨場感があって凄いです。
私が育った岩手県訛りから、他人の感じがしません。(Youtubeのコメント欄も読み応えがあります。)

数ヶ月経って、(福島県側は立ち入り禁止区域が多い為)宮城県から岩手県まで海岸線に沿って北上してみましたが、
無数の廃墟の建物や車・船の残骸は勿論の事、船や大型車が建物の屋根や屋上に乗り上げている光景が、珍しくなく、あちらこちらで見られて驚きました。
心の痛む悲劇の現場も何箇所も残っておりました。
東日本大震災の津波で特に人的被害が大きかった県は、宮城県、岩手県、福島県の3県です。
この3県合わせて死者が1万5千人以上出ています。未だ行方不明者を合わせれば1万8千人を超えます。
この3県の中では直接の人的被害が最も少なかった福島県ですが、原発事故の為に、復興は最も遅れています。
10年経った今でも、原発周辺には帰還困難区域があります。帰還を希望していて帰還できない避難民はいまだに2万人以上です。
避難民は、私の住む会津地方にも沢山やってきました。市町村ごとに、体育館、高校、廃校になった校舎、温泉旅館、ホテル ・・・ いろんな施設に分かれて住んでいました。
元の町の小中学校も会津に作られました。仮設住宅が建てられ、そこに多くの方々が住んでいました。

福島第一原発廃炉作業
3.11以来 「フクシマ」 の名は世界で一番有名な(悪名高い)日本の地名になってしまいました。
事故後2ヶ月ほどして、東京からガイガーカウンターを持って放射能を調べにやって来られた方の運転手兼助手として福島第一原発方面に行きましたが、
現地に近づくとガイガーカウンターがポンポンポンポン鳴り止まなくて恐ろしかった記憶があります。(放射線が1つ入るたびに 「ポン」 と音が出るガイガーカウンターです。)

チェルノブイリ原発の廃炉の石棺
世界で過去にメルトダウン(炉心溶融)を起こした原子炉は7基です。
しかし最初の2つは研究用の小さな実験炉で、大事故には至らなかったようで、ほとんど知られていません。
残る5基が、実用の原子力発電所のメルトダウンです。アメリカのスリーマイル島と旧ソ連のチェルノブイリ、そして日本の福島第一原発の1号基、3号基、2号基です。
つまり、世界の原発での深刻なメルトダウン事故5基中3基、60%が福島第一原発なのです。
原発震災後、福島第一原発の5基全部を含め、21基の廃炉が決まりました。
しかし、まだ33基もの原発の廃炉は決まらず、稼働することが出来るのです。未だに原発の密度(面積当たりの原発の数)は世界一です。
こんなに大きな地震の多い国で原発を稼働することは狂気の沙汰です。もう一度メルトダウンを起こしたら、それこそ “世界の恥” です。
そして、世界に対して、“恥”だけでは済まされない大きな責任があるのです。放射性物質を作って 世界中に撒き散らす事は許されざる事です。
今後事故が起こらずに全基発電を全うしたとしても、日本の57基の原発の数十年続く廃炉作業と、その後の数万年の管理が全部安全にうまく行くとは到底考えられません。
原発には半永久的に憂鬱な未来が待っているのです。
[編集長-ひとりごと]
阪神・淡路大震災で被災した僕は、倒壊した家に8時間以上生き埋めになり、そこから救出されて25年以上も経つのに、、、
あの日の、あの朝の事がトラウマになり、、、 いまだに、まともに生活ができません。。。
でも、神戸の街は何事も無かったように復興を遂げて、、、 僕は、その見えないギャップに押しつぶされそうだ、、、、
10年前に東北で起こった震災も、復興は進んでいますが、その実態はどうなんでしょうか?
最近は地球温暖化防止の為に原発再稼働をしたほうが良いと、考えている人が少しづつ増えてきているのが不気味です。
電気自動車を増やそうとしている政府や企業のイメージ戦略にドップリとハマっている人達も増えてきています。
電力が足りなくなったら、原発か?・・・
どんな未来が待っているんでしょうか?
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