焼走り溶岩流 2020年8月 (岩手県 八幡平市)
享保17年(1732)の噴火によってできたもので、300年近く経つというのに、ほとんど植物が進入していないという不思議な場所です。

Photo by Kirishima
展望台近くにある 宮沢賢治 「鎔岩流」 の詩碑
喪神のしろいかがみが
薬師火口のいただきにかかり
日かげになつた火山礫堆(れきたい)の中腹から
畏るべくかなしむべき砕塊熔岩(ブロツクレーバ)の黒
わたくしはさつきの柏や松の野原をよぎるときから
なにかあかるい曠原風の情調を
ばらばらにするやうなひどいけしきが
展かれるとはおもつてゐた
けれどもここは空気も深い淵になつてゐて
ごく強力な鬼神たちの棲みかだ
一ぴきの鳥さへも見えない
(春と修羅 第一集』">『春と修羅 第一集">春と修羅 第一集』 より) 以下、略
岩手山をこよなく愛した宮沢賢治は、約90年前にこの地を訪れ、文学者と科学者の目からこの詩 「鎔岩流」 を作ったそうです。
この詩からは、賢治が 「強力な鬼神の棲みかだ、一匹の鳥さへも見えない」 と称した溶岩流原野の異次元の凄味が感じられます。
投稿者: 霧島




延長約3キロ、幅1キロにも及ぶ広大な熔岩流台地には、300年近く経ついうのに、ほとんど植物が進入していないとのこと。
僅かに、松やダケカンバ等がポツリ、ポツリと生えています。
まさに 「鬼神の棲か」 絵になる光景です。

広大な焼走り熔岩流台地。
厚さは、5メートルから10メートルにもなるとのこと。

岩手山と溶岩流大地 「展望台」 付近から撮影。
「喪神のしろいかがみが 薬師火口のいただきにかかり」
まさに、賢治の詩のような情景です。
「喪神」 とは、賢治の造語で死神のようなものだそうです。 「薬師火口のいただき」 とは、岩手山山頂の火口です。

国際交流村にある 「焼け走り溶岩流台地」 の案内板
以前、訪れた時の記事 → 「焼走り溶岩流台地 散策」(Anthony's CAFE)
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