幻三郎旅日記 第二話 「決闘! 二十四 対 一」 その4 (小説)
二日後。 霧ヶ谷一風斎は、新たな当主となる人物の住む島にやってきていた。
中国地方の日本海側に浮かぶ小さな島々のうちの一つである。名を御島という。
海岸の周囲をぐるりと岩礁に取り囲まれており、その外側の海は一年を通してずっと波が荒いため、地元の漁師すら近づけない所だ。
遙か遠い昔、御島は本州と陸続きだった。地殻変動で海中に没した岬の最奥部が、島となって残ったのである。
その岬こそ、かつて岬護家と衛士によって守られていた、神の住まう聖地 「岬」 だった。
投稿者:クロノイチ
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中国地方の日本海側に浮かぶ小さな島々のうちの一つである。名を御島という。
海岸の周囲をぐるりと岩礁に取り囲まれており、その外側の海は一年を通してずっと波が荒いため、地元の漁師すら近づけない所だ。
遙か遠い昔、御島は本州と陸続きだった。地殻変動で海中に没した岬の最奥部が、島となって残ったのである。
その岬こそ、かつて岬護家と衛士によって守られていた、神の住まう聖地 「岬」 だった。
投稿者:クロノイチ



現在、御島には神はいない。それでも、依然として神威は衰えていなかった。御島を包む空気には、クリスタルを想起させる清浄(しょうじょう)な透明感があり、さらに、御島自体、取り立てて他の島々とは違った外観を持っていないにも関わらず、それを見る者に畏敬の念を生じさせる不思議な威厳を備えている。
一風斎はまだ、衛士と弥陀ヶ原幻三郎との戦いの結果を知らない。幻三郎と別れるや、留守を二人の組頭(くみがしら)(村役人兼衛士の行動隊長)に任せ、直ちに出立したためである。彼は馬に乗り、さらに別の馬を一頭従えて、出雲往来を北東に進んだ。そして、安芸から備後を経由して出雲に抜けると、古代に造られた隠し隧道(すいどう)を通り、海底地下から御島へと向かう。
隧道の出口は、「岬」の神を祀った地下神殿に直結していた。
神殿の内部は、本殿に当たる祭壇の間とそれに連なる大広間を中心にして、周囲を廊下が取り巻き、さらにその周囲を部屋や倉庫が取り巻くという構造である。あらゆる床や天井や壁は、常時淡い白色光を発する神秘的な素材のタイルで覆われていた。そのため地下だというのに、照明もなしで随分と明るい。
今、一風斎は大広間の入口で、次代の岬護家当主となるべき人物の前に平伏していた。その名は岬護影二郎(みさきもり・えいじろう)。岬護幽一郎の双子の弟である。
影二郎は、奥の入口から音もなく現れると、祭壇の間を隔てる絹の帳(とばり)の手前に設けられた高座(たかくら)に上り、そこに据えられた黒漆塗の倚子(いし)に腰掛けた。
ちなみに倚子とは、勾欄(こうらん)形の肘掛けと鳥居形の背を持つ、中国伝来の椅子の一種で、宮中においては権力者のしるしとして、貴人高官に限り使用が許された代物である。
影二郎は幽一郎と瓜二つだった。忍び装束に似た藍色の奇妙な服も兄と揃いだ。ただ、目つきが異様に鋭く、神経質そうに絶えず視線を移動させていた。
「一風斎。頭を上げろ」
早口の甲高い声が大広間に響き渡る。
「はっ」
「久し振りだな。どうだ。俺の出番が来たか」
「どうしてそれを?」
「そうでもなければ、この見捨てられた地へは来るまい。『天敵』が出現したのだな。そして、兄者は殺された……」
「え? ──じ、実は……」
一風斎の顔に狼狽の表情が浮かんだ。
「兄者が生きていて、ただ戦力のみを欲するのであれば、まずは俺ではなく幻三郎が召還されるはず。あいつは俺より数段強いからな」
この場合の「幻三郎」とは岬護幻三郎のことである。影二郎の三つ年下の末弟にして、岬護家最強の男。影二郎の言から判断すると、この地下神殿にはいないらしい。
「申し上げまする。恐れながら、幽一郎様は自ら御屋敷を出、岬護家の当主の義務を放棄なされましたので、掟に基づき、手前が刺客を差し向け……」
「殺させたというのか?」
「はっ」
一風斎はビクッと首を竦めた。影二郎の前では何も取り繕えない──そんな圧倒的な格の差が見てとれる。影二郎は冷酷な薄笑いを浮かべ、一風斎に蔑みの視線を送った。
「一風斎よ。その刺客こそ、伝説の『天敵』だ」
「何ですと?しかし、あの男は手前がたまたま呼び寄せた者。そんな偶然が……」
「『天敵』でなければ兄者は倒せぬ。いいか。岬護家の者にはな、仮に衛士が束になったとしても、到底太刀打ちできん。並の剣客なら百人掛かりでも無理だ」
さすがに影二郎も、幽一郎が自らの意志で刺客に殺された、とまでは考えないようである。
「そんな鬼神の如き力が……?」
呆気に取られた様子で一風斎は影二郎を仰ぎ見た。
「まあ、ここ五百年、岬護家の者が真の実力を開放する機会はなかった。『天敵』が出なかったからな。見くびられるのも仕方がないことかもしれん」
「見くびるなどとんでもないこと。されど、解せませぬ。衛士を統括する力しか持たぬ霧ヶ谷家に、掟はなぜあのような職分を……」
「違うぞ」
一風斎の言葉は、早口でまくし立てる影二郎によって、常に遮られてしまう。
「──神より掟を授かった当時はな、霧ヶ谷家の者も、岬護家の者に劣らぬ身体的能力を有していた。元々、本家と分家の間柄。血の繋がりが濃い間は、神に与えられし力をほぼ同等に引き継いでいたんだ。だが、岬護家と違って近親結婚をしなかったから、本家の血が薄まるとともに、力も失われていった……」
「なるほど」
「で、掟にも実情にそぐわぬ部分ができてきたわけだ。ただ、これまでは何の問題もなく済んでいた。掟を破る岬護家当主などいなかったゆえにな。まさか兄者が最初の一人になろうとは」
影二郎がじっと一風斎を見据える。目は真面目だったが、口の端が少し笑っていた。
「──助かったぞ。おかげで俺は表に出ることができる。兄者と『天敵』とお前に感謝だ」
「は、はあ」
兄の死を悲しむ素振りは、全く影二郎に見られない。そういえば、風となった岬護幽一郎も岬護家の敵に回ることを躊躇しなかった。共に、兄弟に対する愛情が完全に欠如している。
「ところで、『刺客』はその後どうした?」
「天ヶ原で二十数名の衛士と……。結果は知りませぬ。大事に至ろうとは思いませなんだもので」
「そうか。恐らく全滅だな。下手をすると村も全滅かもしれん」
平然とした顔で言う影二郎の前で、一風斎は縮み上がった。
「そ、そんな……」
「なあに、俺と幻三郎がいれば、何とかなる。五百年ぶりに『天敵』が現れたのは伝説の通り。ならば、その先も伝説通りだ。『天敵』は岬護家の者によって倒される定め。神に背かぬ限り、必ず勝てる」
「た、確かに」
一風斎は唾を飲みながら声を絞り出した。
「では、屋敷へ戻るぞ。当主を継承せねばならんし、幻三郎も呼び寄せねばならん」
「ははっ」
平伏する一風斎をつまらなそうに一瞥し、影二郎は大広間から風のように姿を消した。
同じ頃。弥陀ヶ原幻三郎は山陽道を西に向かい、脇目も振らず歩いていた。岬護影二郎の危惧に反して、衛士の村は無傷である。幻三郎は誰にも見つからぬよう、こっそりと村を抜けた。己を「天敵」と決めつける風への反発が、そうさせたのかもしれない。
幻三郎の左肩から長刀の柄が覗く。例の「御神薙」を背負い太刀にしているのだ。「奥の手」が届かぬ位置に柄を離してあるのが、彼のこだわりというべきか。柄頭のスタールビーが燦然たる輝きを放つ。とにかく装飾の限りを尽くした拵(こしらえ)の長太刀である。幻三郎は、敵を呼び寄せる原因をまたしても手に入れた。
猛烈な西風が砂塵を巻き上げ、幻三郎に吹きつける。岬護幽一郎のなれの果ては「風」であることをやめて、幻三郎の背中にベタッと張りついたままだ。
〔やれやれ、ひどい風だな〕
うんざりしたように風は言った。相手と密着した状態では、風音を使わなくても言葉の伝達ができるらしい。
「お前よりはましだ」
人目を憚ってか、幻三郎の声は囁きに近い。けれども、実のところ、人通りは見渡す限り全くなかった。
〔こんな砂っぽい風の中、よく歩くな。道中を急ぐ理由でもあるのか?この二日、ほとんど歩きっ放しだぜ。いい加減、目的地を教えろよ〕
「ない」
〔嘘だろ〕
「嘘ではない。俺はただ、行ったことのない所へ行こうとしているだけだ」
〔何のために? 物見遊山が目的とは言わんだろうな〕
「当たり前だ。──誰しも嫌な思い出のある土地へは戻りたくあるまい。が、どこだって俺が一度足を踏み入れた場所では、必ず嫌な思い出ができる。されば、新しい土地を目指すしかないだろう」
〔まるで日本中を悪夢の記憶で埋め尽くすために、旅をしているみたいなもんだな〕
「そうならぬように精進している」
〔妙な精進だ。前向きに逃げているというか、後ろ向きで進んでいるというか……〕
「その話は前に聞いた」
幻三郎が僅かに語調を強めて言う。鬱陶しそうな声ではあったが、さして怒っている様子ではなかった。恐らく二日の間に、幾度も似たような会話を繰り返して、免疫ができてしまったのだろう。
〔また、すぐに話題を逸らす〕
「ふん。俺がどう生きようと俺の勝手だ」
〔その言いぐさだって何度も聞いたぞ〕
すかさず風が揚げ足を取る。幻三郎は表立った反発を見せなかった。両者の関係は良好とはいえないまでも、険悪ではなくなってきている。
不意に幻三郎が立ち止まった。街道沿いに延々と続く杉並木、そのうちの一本に視線を止める。律令制の時代、街道が整備された当時から既にあったとおぼしき巨木だ。前後左右に太い枝を張り巡らせ、広い範囲で日差しを遮っている。根元に大きなうろがあり、中に丸々とした地蔵尊が収められていた。
〔どうかしたのか?〕
「石地蔵だ」
幻三郎が素っ気なく呟く。
〔ほう〕
風は幹の空洞の中に入っていった。
〔──で、これがどうだというんだ?〕
「片目を瞑っている。こいつはな……」
そう言ってススッと地蔵に近づくや、幻三郎は抜く手も見せず、白刃を閃かせた。地蔵の首がコトリと落ちる。同時に硬質な金属音がして、小判が一枚飛び出してきた。
〔何?〕
「外れだ」
幻三郎は小判を拾い、地蔵の胴体を検めた。その中には空洞があって、さらに四枚の小判が収められている。彼は、全部拾い上げると、地蔵の首を毬のように蹴り飛ばし、胴体にぶつけて全てをこっぱみじんにした。そして、小判を腰の小さな行李にしまい、何事もなかったかの如く、歩き始める。
風が幻三郎の背中に戻ってきた。
〔何なんだ、あの地蔵は?〕
「ぶち壊したのは、ちと餓鬼臭かったか」
〔そんなことはどうでもいい。あの地蔵は……〕
「俺の金づるだ。外れは五両、当たりは豊臣家の隠し軍用金の在り処が記された図面。今の俺には、外れで充分だ」
〔豊臣家の? なぜそんなことを知っている?〕
「それは……色々と因縁があってな」
幻三郎の口は重かった。
〔こんな地蔵がまだ幾つも……?〕
風の方は興味津々で、立て続けに問いを浴びせてくる。
「全国の主な街道沿いに百箇所。今のを入れて七箇所ばかり見つけたが、ことごとく外れだった。五両は後世の家臣に対する手間賃だろう。豊臣家の者以外に秘密が漏れることなど、露ほども想定されてはいまい」
〔宝捜しは旅の目的にはないのか?〕
「持ちきれぬ金は邪魔なだけだ。──この先、図面が見つかることがあれば……ふむ、どうするかな?」
ふと、思考を巡らせてみる気になったらしく、幻三郎は首を傾げた。
〔隠し金の額によっては、あんたの望む戦乱の時代を、再び作り出せるかもしれんぞ〕
風が物騒なことを囁く。
「俺が金を握っていたのでは無理だ。俺は剣を揮う以外に能のない男」
〔自分をそんなふうに決めつけてしまっているんだな。──まあいい。ならば、しかるべき人物に図面ごとくれてやれ。一種の賭だ〕
「誰に渡す?」
〔そいつは図面を見つけた時点で考えねば〕
「そうか」
幻三郎はそれで納得した様子だった。そのまま無言で歩き続ける。だが、いつもの早足ではない。速く歩こうという意志はないようだった。まだ、何か考え事をしている感じである。
「……やはり、子供じみていたな……」
後悔めいた呟きを吐息混じりに洩らすと、幻三郎は小さく首を左右に振った。
〔おい、ぶつぶつ言ってる場合じゃないぞ〕
「何だ?」
物憂げに幻三郎が応じる。
〔空を見ろ。あのカラス、さっきから、つかず離れずでずっとついてきている。何だか妙な感じだ。あんたの居場所を誰かに知らせてるんじゃないか?〕
「カラスだと? 白いカラスか?」
見上げることもせずに、幻三郎は尋ねた。はっきりとした心当たりがあるようである。
〔白い? 俺は色の識別ができないんだ。自分で確かめてくれ〕
「ほう。気の感覚じゃあ、色はわからんのか」
面白そうに言って、空を仰ぐ。確かに白い鳥が上空を舞っていた。姿形はまさしくカラス。嘴の細いハシボソガラスである。色素を全く持たずに生まれてきた珍しい突然変異体だった。
「やはりな」
幻三郎は頷いた。
「──あれは、俺を仇と狙う連中の一人が飼っていたカラスだ。飼い主はかなり昔に俺が斬ったんだが、以来、時々、こうして俺の頭上を飛んでいる。俺を狙う奴らは、あいつを目印にして俺を追っているらしい」
〔主人の仇を仲間に討ってもらおうとしているのかな〕
「鳥ながらあっぱれ、か?」
皮肉っぽい笑い声とともに、幻三郎はもう一度、上空を見上げた。彼が立ち止まっている間、カラスは緩やかに空を旋回している。
「──違うな。あいつの身体、傷だらけだろう」
〔ん? ──ああ。確かに〕
空を舞う白いカラスの身体には、何かに抉られたような赤い傷が何箇所もあった。羽根もだいぶ傷んでいる様子だ。
「嘴でつつかれたのだ。同類にな」
〔カラスにやられたのか〕
「あいつを襲うのはカラスだけだ。理由もなく、つっつきにくる。いや、理由はあの白い身体にあるに決まっているが……」
〔よっぽど生意気な奴に見えるのかな〕
「さあ、それは知らん。とにかく、あいつは飼い主という庇護者を失い、同じ種族の仲間からも迫害を受けて、常に命の危険に晒されている。だからこそ、俺の方に寄ってくるのだと思うぞ。俺の周りには、鳥や獣はおろか虫さえも寄りつこうとせんからな。安全といえば安全」
〔道理で、とんと動くものの姿を見掛けんと思った。あんたの殺気が原因か。けど、それを物ともせずにやってくるとは、弱いのか勇気があるのかわからんな〕
「生への意志が本能的な恐怖に打ち勝ったというところか。──まあ、何にせよ、俺にとっては、大勢と闘う機会をもたらしてくれる有用な鳥だ。ついてきてくれるなら、それに越したことはない」
〔そうかな? 岬護家にとっても、有用な鳥だと思うが。白いカラスなんて、滅多にいるもんじゃないから、あんたとの繋がりはすぐに知れる。居場所が筒抜けになって、休む間もなく狙われ続けるぞ〕
「──大丈夫だ」
幻三郎は、望むところだ、とは言わなかった。岬護幽一郎や衛士達との決闘で思わぬ苦戦を強いられたことで、自分の強さに絶対の自信を持てなくなってしまったのだろう。
〔やれやれ。本当に大丈夫かな。さっさとつまらん意地を捨てて、脳天気に最強無敵を誇った方が、人生、楽しいぜ〕
「言うな!」
たちまち苛立ちを露にして、幻三郎が怒鳴る。この話題に関しては、軽口を聞き流す余裕すらないことが明白だった。
〔わかってる。他人の生き方に口を出すなって言うんだろ〕
風が幻三郎の背中でもどかしげに蠢く。
白いカラスが、ギャアと啼いた。
第二話 完
一風斎はまだ、衛士と弥陀ヶ原幻三郎との戦いの結果を知らない。幻三郎と別れるや、留守を二人の組頭(くみがしら)(村役人兼衛士の行動隊長)に任せ、直ちに出立したためである。彼は馬に乗り、さらに別の馬を一頭従えて、出雲往来を北東に進んだ。そして、安芸から備後を経由して出雲に抜けると、古代に造られた隠し隧道(すいどう)を通り、海底地下から御島へと向かう。
隧道の出口は、「岬」の神を祀った地下神殿に直結していた。
神殿の内部は、本殿に当たる祭壇の間とそれに連なる大広間を中心にして、周囲を廊下が取り巻き、さらにその周囲を部屋や倉庫が取り巻くという構造である。あらゆる床や天井や壁は、常時淡い白色光を発する神秘的な素材のタイルで覆われていた。そのため地下だというのに、照明もなしで随分と明るい。
今、一風斎は大広間の入口で、次代の岬護家当主となるべき人物の前に平伏していた。その名は岬護影二郎(みさきもり・えいじろう)。岬護幽一郎の双子の弟である。
影二郎は、奥の入口から音もなく現れると、祭壇の間を隔てる絹の帳(とばり)の手前に設けられた高座(たかくら)に上り、そこに据えられた黒漆塗の倚子(いし)に腰掛けた。
ちなみに倚子とは、勾欄(こうらん)形の肘掛けと鳥居形の背を持つ、中国伝来の椅子の一種で、宮中においては権力者のしるしとして、貴人高官に限り使用が許された代物である。
影二郎は幽一郎と瓜二つだった。忍び装束に似た藍色の奇妙な服も兄と揃いだ。ただ、目つきが異様に鋭く、神経質そうに絶えず視線を移動させていた。
「一風斎。頭を上げろ」
早口の甲高い声が大広間に響き渡る。
「はっ」
「久し振りだな。どうだ。俺の出番が来たか」
「どうしてそれを?」
「そうでもなければ、この見捨てられた地へは来るまい。『天敵』が出現したのだな。そして、兄者は殺された……」
「え? ──じ、実は……」
一風斎の顔に狼狽の表情が浮かんだ。
「兄者が生きていて、ただ戦力のみを欲するのであれば、まずは俺ではなく幻三郎が召還されるはず。あいつは俺より数段強いからな」
この場合の「幻三郎」とは岬護幻三郎のことである。影二郎の三つ年下の末弟にして、岬護家最強の男。影二郎の言から判断すると、この地下神殿にはいないらしい。
「申し上げまする。恐れながら、幽一郎様は自ら御屋敷を出、岬護家の当主の義務を放棄なされましたので、掟に基づき、手前が刺客を差し向け……」
「殺させたというのか?」
「はっ」
一風斎はビクッと首を竦めた。影二郎の前では何も取り繕えない──そんな圧倒的な格の差が見てとれる。影二郎は冷酷な薄笑いを浮かべ、一風斎に蔑みの視線を送った。
「一風斎よ。その刺客こそ、伝説の『天敵』だ」
「何ですと?しかし、あの男は手前がたまたま呼び寄せた者。そんな偶然が……」
「『天敵』でなければ兄者は倒せぬ。いいか。岬護家の者にはな、仮に衛士が束になったとしても、到底太刀打ちできん。並の剣客なら百人掛かりでも無理だ」
さすがに影二郎も、幽一郎が自らの意志で刺客に殺された、とまでは考えないようである。
「そんな鬼神の如き力が……?」
呆気に取られた様子で一風斎は影二郎を仰ぎ見た。
「まあ、ここ五百年、岬護家の者が真の実力を開放する機会はなかった。『天敵』が出なかったからな。見くびられるのも仕方がないことかもしれん」
「見くびるなどとんでもないこと。されど、解せませぬ。衛士を統括する力しか持たぬ霧ヶ谷家に、掟はなぜあのような職分を……」
「違うぞ」
一風斎の言葉は、早口でまくし立てる影二郎によって、常に遮られてしまう。
「──神より掟を授かった当時はな、霧ヶ谷家の者も、岬護家の者に劣らぬ身体的能力を有していた。元々、本家と分家の間柄。血の繋がりが濃い間は、神に与えられし力をほぼ同等に引き継いでいたんだ。だが、岬護家と違って近親結婚をしなかったから、本家の血が薄まるとともに、力も失われていった……」
「なるほど」
「で、掟にも実情にそぐわぬ部分ができてきたわけだ。ただ、これまでは何の問題もなく済んでいた。掟を破る岬護家当主などいなかったゆえにな。まさか兄者が最初の一人になろうとは」
影二郎がじっと一風斎を見据える。目は真面目だったが、口の端が少し笑っていた。
「──助かったぞ。おかげで俺は表に出ることができる。兄者と『天敵』とお前に感謝だ」
「は、はあ」
兄の死を悲しむ素振りは、全く影二郎に見られない。そういえば、風となった岬護幽一郎も岬護家の敵に回ることを躊躇しなかった。共に、兄弟に対する愛情が完全に欠如している。
「ところで、『刺客』はその後どうした?」
「天ヶ原で二十数名の衛士と……。結果は知りませぬ。大事に至ろうとは思いませなんだもので」
「そうか。恐らく全滅だな。下手をすると村も全滅かもしれん」
平然とした顔で言う影二郎の前で、一風斎は縮み上がった。
「そ、そんな……」
「なあに、俺と幻三郎がいれば、何とかなる。五百年ぶりに『天敵』が現れたのは伝説の通り。ならば、その先も伝説通りだ。『天敵』は岬護家の者によって倒される定め。神に背かぬ限り、必ず勝てる」
「た、確かに」
一風斎は唾を飲みながら声を絞り出した。
「では、屋敷へ戻るぞ。当主を継承せねばならんし、幻三郎も呼び寄せねばならん」
「ははっ」
平伏する一風斎をつまらなそうに一瞥し、影二郎は大広間から風のように姿を消した。
同じ頃。弥陀ヶ原幻三郎は山陽道を西に向かい、脇目も振らず歩いていた。岬護影二郎の危惧に反して、衛士の村は無傷である。幻三郎は誰にも見つからぬよう、こっそりと村を抜けた。己を「天敵」と決めつける風への反発が、そうさせたのかもしれない。
幻三郎の左肩から長刀の柄が覗く。例の「御神薙」を背負い太刀にしているのだ。「奥の手」が届かぬ位置に柄を離してあるのが、彼のこだわりというべきか。柄頭のスタールビーが燦然たる輝きを放つ。とにかく装飾の限りを尽くした拵(こしらえ)の長太刀である。幻三郎は、敵を呼び寄せる原因をまたしても手に入れた。
猛烈な西風が砂塵を巻き上げ、幻三郎に吹きつける。岬護幽一郎のなれの果ては「風」であることをやめて、幻三郎の背中にベタッと張りついたままだ。
〔やれやれ、ひどい風だな〕
うんざりしたように風は言った。相手と密着した状態では、風音を使わなくても言葉の伝達ができるらしい。
「お前よりはましだ」
人目を憚ってか、幻三郎の声は囁きに近い。けれども、実のところ、人通りは見渡す限り全くなかった。
〔こんな砂っぽい風の中、よく歩くな。道中を急ぐ理由でもあるのか?この二日、ほとんど歩きっ放しだぜ。いい加減、目的地を教えろよ〕
「ない」
〔嘘だろ〕
「嘘ではない。俺はただ、行ったことのない所へ行こうとしているだけだ」
〔何のために? 物見遊山が目的とは言わんだろうな〕
「当たり前だ。──誰しも嫌な思い出のある土地へは戻りたくあるまい。が、どこだって俺が一度足を踏み入れた場所では、必ず嫌な思い出ができる。されば、新しい土地を目指すしかないだろう」
〔まるで日本中を悪夢の記憶で埋め尽くすために、旅をしているみたいなもんだな〕
「そうならぬように精進している」
〔妙な精進だ。前向きに逃げているというか、後ろ向きで進んでいるというか……〕
「その話は前に聞いた」
幻三郎が僅かに語調を強めて言う。鬱陶しそうな声ではあったが、さして怒っている様子ではなかった。恐らく二日の間に、幾度も似たような会話を繰り返して、免疫ができてしまったのだろう。
〔また、すぐに話題を逸らす〕
「ふん。俺がどう生きようと俺の勝手だ」
〔その言いぐさだって何度も聞いたぞ〕
すかさず風が揚げ足を取る。幻三郎は表立った反発を見せなかった。両者の関係は良好とはいえないまでも、険悪ではなくなってきている。
不意に幻三郎が立ち止まった。街道沿いに延々と続く杉並木、そのうちの一本に視線を止める。律令制の時代、街道が整備された当時から既にあったとおぼしき巨木だ。前後左右に太い枝を張り巡らせ、広い範囲で日差しを遮っている。根元に大きなうろがあり、中に丸々とした地蔵尊が収められていた。
〔どうかしたのか?〕
「石地蔵だ」
幻三郎が素っ気なく呟く。
〔ほう〕
風は幹の空洞の中に入っていった。
〔──で、これがどうだというんだ?〕
「片目を瞑っている。こいつはな……」
そう言ってススッと地蔵に近づくや、幻三郎は抜く手も見せず、白刃を閃かせた。地蔵の首がコトリと落ちる。同時に硬質な金属音がして、小判が一枚飛び出してきた。
〔何?〕
「外れだ」
幻三郎は小判を拾い、地蔵の胴体を検めた。その中には空洞があって、さらに四枚の小判が収められている。彼は、全部拾い上げると、地蔵の首を毬のように蹴り飛ばし、胴体にぶつけて全てをこっぱみじんにした。そして、小判を腰の小さな行李にしまい、何事もなかったかの如く、歩き始める。
風が幻三郎の背中に戻ってきた。
〔何なんだ、あの地蔵は?〕
「ぶち壊したのは、ちと餓鬼臭かったか」
〔そんなことはどうでもいい。あの地蔵は……〕
「俺の金づるだ。外れは五両、当たりは豊臣家の隠し軍用金の在り処が記された図面。今の俺には、外れで充分だ」
〔豊臣家の? なぜそんなことを知っている?〕
「それは……色々と因縁があってな」
幻三郎の口は重かった。
〔こんな地蔵がまだ幾つも……?〕
風の方は興味津々で、立て続けに問いを浴びせてくる。
「全国の主な街道沿いに百箇所。今のを入れて七箇所ばかり見つけたが、ことごとく外れだった。五両は後世の家臣に対する手間賃だろう。豊臣家の者以外に秘密が漏れることなど、露ほども想定されてはいまい」
〔宝捜しは旅の目的にはないのか?〕
「持ちきれぬ金は邪魔なだけだ。──この先、図面が見つかることがあれば……ふむ、どうするかな?」
ふと、思考を巡らせてみる気になったらしく、幻三郎は首を傾げた。
〔隠し金の額によっては、あんたの望む戦乱の時代を、再び作り出せるかもしれんぞ〕
風が物騒なことを囁く。
「俺が金を握っていたのでは無理だ。俺は剣を揮う以外に能のない男」
〔自分をそんなふうに決めつけてしまっているんだな。──まあいい。ならば、しかるべき人物に図面ごとくれてやれ。一種の賭だ〕
「誰に渡す?」
〔そいつは図面を見つけた時点で考えねば〕
「そうか」
幻三郎はそれで納得した様子だった。そのまま無言で歩き続ける。だが、いつもの早足ではない。速く歩こうという意志はないようだった。まだ、何か考え事をしている感じである。
「……やはり、子供じみていたな……」
後悔めいた呟きを吐息混じりに洩らすと、幻三郎は小さく首を左右に振った。
〔おい、ぶつぶつ言ってる場合じゃないぞ〕
「何だ?」
物憂げに幻三郎が応じる。
〔空を見ろ。あのカラス、さっきから、つかず離れずでずっとついてきている。何だか妙な感じだ。あんたの居場所を誰かに知らせてるんじゃないか?〕
「カラスだと? 白いカラスか?」
見上げることもせずに、幻三郎は尋ねた。はっきりとした心当たりがあるようである。
〔白い? 俺は色の識別ができないんだ。自分で確かめてくれ〕
「ほう。気の感覚じゃあ、色はわからんのか」
面白そうに言って、空を仰ぐ。確かに白い鳥が上空を舞っていた。姿形はまさしくカラス。嘴の細いハシボソガラスである。色素を全く持たずに生まれてきた珍しい突然変異体だった。
「やはりな」
幻三郎は頷いた。
「──あれは、俺を仇と狙う連中の一人が飼っていたカラスだ。飼い主はかなり昔に俺が斬ったんだが、以来、時々、こうして俺の頭上を飛んでいる。俺を狙う奴らは、あいつを目印にして俺を追っているらしい」
〔主人の仇を仲間に討ってもらおうとしているのかな〕
「鳥ながらあっぱれ、か?」
皮肉っぽい笑い声とともに、幻三郎はもう一度、上空を見上げた。彼が立ち止まっている間、カラスは緩やかに空を旋回している。
「──違うな。あいつの身体、傷だらけだろう」
〔ん? ──ああ。確かに〕
空を舞う白いカラスの身体には、何かに抉られたような赤い傷が何箇所もあった。羽根もだいぶ傷んでいる様子だ。
「嘴でつつかれたのだ。同類にな」
〔カラスにやられたのか〕
「あいつを襲うのはカラスだけだ。理由もなく、つっつきにくる。いや、理由はあの白い身体にあるに決まっているが……」
〔よっぽど生意気な奴に見えるのかな〕
「さあ、それは知らん。とにかく、あいつは飼い主という庇護者を失い、同じ種族の仲間からも迫害を受けて、常に命の危険に晒されている。だからこそ、俺の方に寄ってくるのだと思うぞ。俺の周りには、鳥や獣はおろか虫さえも寄りつこうとせんからな。安全といえば安全」
〔道理で、とんと動くものの姿を見掛けんと思った。あんたの殺気が原因か。けど、それを物ともせずにやってくるとは、弱いのか勇気があるのかわからんな〕
「生への意志が本能的な恐怖に打ち勝ったというところか。──まあ、何にせよ、俺にとっては、大勢と闘う機会をもたらしてくれる有用な鳥だ。ついてきてくれるなら、それに越したことはない」
〔そうかな? 岬護家にとっても、有用な鳥だと思うが。白いカラスなんて、滅多にいるもんじゃないから、あんたとの繋がりはすぐに知れる。居場所が筒抜けになって、休む間もなく狙われ続けるぞ〕
「──大丈夫だ」
幻三郎は、望むところだ、とは言わなかった。岬護幽一郎や衛士達との決闘で思わぬ苦戦を強いられたことで、自分の強さに絶対の自信を持てなくなってしまったのだろう。
〔やれやれ。本当に大丈夫かな。さっさとつまらん意地を捨てて、脳天気に最強無敵を誇った方が、人生、楽しいぜ〕
「言うな!」
たちまち苛立ちを露にして、幻三郎が怒鳴る。この話題に関しては、軽口を聞き流す余裕すらないことが明白だった。
〔わかってる。他人の生き方に口を出すなって言うんだろ〕
風が幻三郎の背中でもどかしげに蠢く。
白いカラスが、ギャアと啼いた。
第二話 完
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