幻三郎旅日記 第二話 「決闘! 二十四 対 一」 その4 (小説)

二日後。 霧ヶ谷一風斎は、新たな当主となる人物の住む島にやってきていた。


 中国地方の日本海側に浮かぶ小さな島々のうちの一つである。名を御島という。


 海岸の周囲をぐるりと岩礁に取り囲まれており、その外側の海は一年を通してずっと波が荒いため、地元の漁師すら近づけない所だ。

 遙か遠い昔、御島は本州と陸続きだった。地殻変動で海中に没した岬の最奥部が、島となって残ったのである。

 その岬こそ、かつて岬護家と衛士によって守られていた、神の住まう聖地 「岬」 だった。












投稿者:クロノイチ


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現在、御島には神はいない。それでも、依然として神威は衰えていなかった。御島を包む空気には、クリスタルを想起させる清浄(しょうじょう)な透明感があり、さらに、御島自体、取り立てて他の島々とは違った外観を持っていないにも関わらず、それを見る者に畏敬の念を生じさせる不思議な威厳を備えている。

 一風斎はまだ、衛士と弥陀ヶ原幻三郎との戦いの結果を知らない。幻三郎と別れるや、留守を二人の組頭(くみがしら)(村役人兼衛士の行動隊長)に任せ、直ちに出立したためである。彼は馬に乗り、さらに別の馬を一頭従えて、出雲往来を北東に進んだ。そして、安芸から備後を経由して出雲に抜けると、古代に造られた隠し隧道(すいどう)を通り、海底地下から御島へと向かう。

 隧道の出口は、「岬」の神を祀った地下神殿に直結していた。

 神殿の内部は、本殿に当たる祭壇の間とそれに連なる大広間を中心にして、周囲を廊下が取り巻き、さらにその周囲を部屋や倉庫が取り巻くという構造である。あらゆる床や天井や壁は、常時淡い白色光を発する神秘的な素材のタイルで覆われていた。そのため地下だというのに、照明もなしで随分と明るい。

 今、一風斎は大広間の入口で、次代の岬護家当主となるべき人物の前に平伏していた。その名は岬護影二郎(みさきもり・えいじろう)。岬護幽一郎の双子の弟である。

 影二郎は、奥の入口から音もなく現れると、祭壇の間を隔てる絹の帳(とばり)の手前に設けられた高座(たかくら)に上り、そこに据えられた黒漆塗の倚子(いし)に腰掛けた。

 ちなみに倚子とは、勾欄(こうらん)形の肘掛けと鳥居形の背を持つ、中国伝来の椅子の一種で、宮中においては権力者のしるしとして、貴人高官に限り使用が許された代物である。

 影二郎は幽一郎と瓜二つだった。忍び装束に似た藍色の奇妙な服も兄と揃いだ。ただ、目つきが異様に鋭く、神経質そうに絶えず視線を移動させていた。

「一風斎。頭を上げろ」

 早口の甲高い声が大広間に響き渡る。

「はっ」

「久し振りだな。どうだ。俺の出番が来たか」

「どうしてそれを?」

「そうでもなければ、この見捨てられた地へは来るまい。『天敵』が出現したのだな。そして、兄者は殺された……」

「え? ──じ、実は……」

 一風斎の顔に狼狽の表情が浮かんだ。

「兄者が生きていて、ただ戦力のみを欲するのであれば、まずは俺ではなく幻三郎が召還されるはず。あいつは俺より数段強いからな」

 この場合の「幻三郎」とは岬護幻三郎のことである。影二郎の三つ年下の末弟にして、岬護家最強の男。影二郎の言から判断すると、この地下神殿にはいないらしい。

「申し上げまする。恐れながら、幽一郎様は自ら御屋敷を出、岬護家の当主の義務を放棄なされましたので、掟に基づき、手前が刺客を差し向け……」

「殺させたというのか?」

「はっ」

 一風斎はビクッと首を竦めた。影二郎の前では何も取り繕えない──そんな圧倒的な格の差が見てとれる。影二郎は冷酷な薄笑いを浮かべ、一風斎に蔑みの視線を送った。

「一風斎よ。その刺客こそ、伝説の『天敵』だ」

「何ですと?しかし、あの男は手前がたまたま呼び寄せた者。そんな偶然が……」

「『天敵』でなければ兄者は倒せぬ。いいか。岬護家の者にはな、仮に衛士が束になったとしても、到底太刀打ちできん。並の剣客なら百人掛かりでも無理だ」

 さすがに影二郎も、幽一郎が自らの意志で刺客に殺された、とまでは考えないようである。

「そんな鬼神の如き力が……?」

 呆気に取られた様子で一風斎は影二郎を仰ぎ見た。

「まあ、ここ五百年、岬護家の者が真の実力を開放する機会はなかった。『天敵』が出なかったからな。見くびられるのも仕方がないことかもしれん」

「見くびるなどとんでもないこと。されど、解せませぬ。衛士を統括する力しか持たぬ霧ヶ谷家に、掟はなぜあのような職分を……」

「違うぞ」

 一風斎の言葉は、早口でまくし立てる影二郎によって、常に遮られてしまう。

「──神より掟を授かった当時はな、霧ヶ谷家の者も、岬護家の者に劣らぬ身体的能力を有していた。元々、本家と分家の間柄。血の繋がりが濃い間は、神に与えられし力をほぼ同等に引き継いでいたんだ。だが、岬護家と違って近親結婚をしなかったから、本家の血が薄まるとともに、力も失われていった……」

「なるほど」

「で、掟にも実情にそぐわぬ部分ができてきたわけだ。ただ、これまでは何の問題もなく済んでいた。掟を破る岬護家当主などいなかったゆえにな。まさか兄者が最初の一人になろうとは」

 影二郎がじっと一風斎を見据える。目は真面目だったが、口の端が少し笑っていた。

「──助かったぞ。おかげで俺は表に出ることができる。兄者と『天敵』とお前に感謝だ」

「は、はあ」

 兄の死を悲しむ素振りは、全く影二郎に見られない。そういえば、風となった岬護幽一郎も岬護家の敵に回ることを躊躇しなかった。共に、兄弟に対する愛情が完全に欠如している。

「ところで、『刺客』はその後どうした?」

「天ヶ原で二十数名の衛士と……。結果は知りませぬ。大事に至ろうとは思いませなんだもので」

「そうか。恐らく全滅だな。下手をすると村も全滅かもしれん」

 平然とした顔で言う影二郎の前で、一風斎は縮み上がった。

「そ、そんな……」

「なあに、俺と幻三郎がいれば、何とかなる。五百年ぶりに『天敵』が現れたのは伝説の通り。ならば、その先も伝説通りだ。『天敵』は岬護家の者によって倒される定め。神に背かぬ限り、必ず勝てる」

「た、確かに」

 一風斎は唾を飲みながら声を絞り出した。

「では、屋敷へ戻るぞ。当主を継承せねばならんし、幻三郎も呼び寄せねばならん」

「ははっ」

 平伏する一風斎をつまらなそうに一瞥し、影二郎は大広間から風のように姿を消した。




 同じ頃。弥陀ヶ原幻三郎は山陽道を西に向かい、脇目も振らず歩いていた。岬護影二郎の危惧に反して、衛士の村は無傷である。幻三郎は誰にも見つからぬよう、こっそりと村を抜けた。己を「天敵」と決めつける風への反発が、そうさせたのかもしれない。

 幻三郎の左肩から長刀の柄が覗く。例の「御神薙」を背負い太刀にしているのだ。「奥の手」が届かぬ位置に柄を離してあるのが、彼のこだわりというべきか。柄頭のスタールビーが燦然たる輝きを放つ。とにかく装飾の限りを尽くした拵(こしらえ)の長太刀である。幻三郎は、敵を呼び寄せる原因をまたしても手に入れた。

 猛烈な西風が砂塵を巻き上げ、幻三郎に吹きつける。岬護幽一郎のなれの果ては「風」であることをやめて、幻三郎の背中にベタッと張りついたままだ。

〔やれやれ、ひどい風だな〕

 うんざりしたように風は言った。相手と密着した状態では、風音を使わなくても言葉の伝達ができるらしい。

「お前よりはましだ」

 人目を憚ってか、幻三郎の声は囁きに近い。けれども、実のところ、人通りは見渡す限り全くなかった。

〔こんな砂っぽい風の中、よく歩くな。道中を急ぐ理由でもあるのか?この二日、ほとんど歩きっ放しだぜ。いい加減、目的地を教えろよ〕

「ない」

〔嘘だろ〕

「嘘ではない。俺はただ、行ったことのない所へ行こうとしているだけだ」

〔何のために? 物見遊山が目的とは言わんだろうな〕

「当たり前だ。──誰しも嫌な思い出のある土地へは戻りたくあるまい。が、どこだって俺が一度足を踏み入れた場所では、必ず嫌な思い出ができる。されば、新しい土地を目指すしかないだろう」

〔まるで日本中を悪夢の記憶で埋め尽くすために、旅をしているみたいなもんだな〕

「そうならぬように精進している」

〔妙な精進だ。前向きに逃げているというか、後ろ向きで進んでいるというか……〕

「その話は前に聞いた」

 幻三郎が僅かに語調を強めて言う。鬱陶しそうな声ではあったが、さして怒っている様子ではなかった。恐らく二日の間に、幾度も似たような会話を繰り返して、免疫ができてしまったのだろう。

〔また、すぐに話題を逸らす〕

「ふん。俺がどう生きようと俺の勝手だ」

〔その言いぐさだって何度も聞いたぞ〕

 すかさず風が揚げ足を取る。幻三郎は表立った反発を見せなかった。両者の関係は良好とはいえないまでも、険悪ではなくなってきている。

 不意に幻三郎が立ち止まった。街道沿いに延々と続く杉並木、そのうちの一本に視線を止める。律令制の時代、街道が整備された当時から既にあったとおぼしき巨木だ。前後左右に太い枝を張り巡らせ、広い範囲で日差しを遮っている。根元に大きなうろがあり、中に丸々とした地蔵尊が収められていた。

〔どうかしたのか?〕

「石地蔵だ」

 幻三郎が素っ気なく呟く。

〔ほう〕

 風は幹の空洞の中に入っていった。

〔──で、これがどうだというんだ?〕

「片目を瞑っている。こいつはな……」

 そう言ってススッと地蔵に近づくや、幻三郎は抜く手も見せず、白刃を閃かせた。地蔵の首がコトリと落ちる。同時に硬質な金属音がして、小判が一枚飛び出してきた。

〔何?〕

「外れだ」

 幻三郎は小判を拾い、地蔵の胴体を検めた。その中には空洞があって、さらに四枚の小判が収められている。彼は、全部拾い上げると、地蔵の首を毬のように蹴り飛ばし、胴体にぶつけて全てをこっぱみじんにした。そして、小判を腰の小さな行李にしまい、何事もなかったかの如く、歩き始める。

 風が幻三郎の背中に戻ってきた。

〔何なんだ、あの地蔵は?〕

「ぶち壊したのは、ちと餓鬼臭かったか」

〔そんなことはどうでもいい。あの地蔵は……〕

「俺の金づるだ。外れは五両、当たりは豊臣家の隠し軍用金の在り処が記された図面。今の俺には、外れで充分だ」

〔豊臣家の? なぜそんなことを知っている?〕

「それは……色々と因縁があってな」

 幻三郎の口は重かった。

〔こんな地蔵がまだ幾つも……?〕

 風の方は興味津々で、立て続けに問いを浴びせてくる。

「全国の主な街道沿いに百箇所。今のを入れて七箇所ばかり見つけたが、ことごとく外れだった。五両は後世の家臣に対する手間賃だろう。豊臣家の者以外に秘密が漏れることなど、露ほども想定されてはいまい」

〔宝捜しは旅の目的にはないのか?〕

「持ちきれぬ金は邪魔なだけだ。──この先、図面が見つかることがあれば……ふむ、どうするかな?」

 ふと、思考を巡らせてみる気になったらしく、幻三郎は首を傾げた。

〔隠し金の額によっては、あんたの望む戦乱の時代を、再び作り出せるかもしれんぞ〕

 風が物騒なことを囁く。

「俺が金を握っていたのでは無理だ。俺は剣を揮う以外に能のない男」

〔自分をそんなふうに決めつけてしまっているんだな。──まあいい。ならば、しかるべき人物に図面ごとくれてやれ。一種の賭だ〕

「誰に渡す?」

〔そいつは図面を見つけた時点で考えねば〕

「そうか」

 幻三郎はそれで納得した様子だった。そのまま無言で歩き続ける。だが、いつもの早足ではない。速く歩こうという意志はないようだった。まだ、何か考え事をしている感じである。

「……やはり、子供じみていたな……」

 後悔めいた呟きを吐息混じりに洩らすと、幻三郎は小さく首を左右に振った。

〔おい、ぶつぶつ言ってる場合じゃないぞ〕

「何だ?」

 物憂げに幻三郎が応じる。

〔空を見ろ。あのカラス、さっきから、つかず離れずでずっとついてきている。何だか妙な感じだ。あんたの居場所を誰かに知らせてるんじゃないか?〕

「カラスだと? 白いカラスか?」

 見上げることもせずに、幻三郎は尋ねた。はっきりとした心当たりがあるようである。

〔白い? 俺は色の識別ができないんだ。自分で確かめてくれ〕

「ほう。気の感覚じゃあ、色はわからんのか」

 面白そうに言って、空を仰ぐ。確かに白い鳥が上空を舞っていた。姿形はまさしくカラス。嘴の細いハシボソガラスである。色素を全く持たずに生まれてきた珍しい突然変異体だった。

「やはりな」

 幻三郎は頷いた。

「──あれは、俺を仇と狙う連中の一人が飼っていたカラスだ。飼い主はかなり昔に俺が斬ったんだが、以来、時々、こうして俺の頭上を飛んでいる。俺を狙う奴らは、あいつを目印にして俺を追っているらしい」

〔主人の仇を仲間に討ってもらおうとしているのかな〕

「鳥ながらあっぱれ、か?」

 皮肉っぽい笑い声とともに、幻三郎はもう一度、上空を見上げた。彼が立ち止まっている間、カラスは緩やかに空を旋回している。

「──違うな。あいつの身体、傷だらけだろう」

〔ん? ──ああ。確かに〕

 空を舞う白いカラスの身体には、何かに抉られたような赤い傷が何箇所もあった。羽根もだいぶ傷んでいる様子だ。

「嘴でつつかれたのだ。同類にな」

〔カラスにやられたのか〕

「あいつを襲うのはカラスだけだ。理由もなく、つっつきにくる。いや、理由はあの白い身体にあるに決まっているが……」

〔よっぽど生意気な奴に見えるのかな〕

「さあ、それは知らん。とにかく、あいつは飼い主という庇護者を失い、同じ種族の仲間からも迫害を受けて、常に命の危険に晒されている。だからこそ、俺の方に寄ってくるのだと思うぞ。俺の周りには、鳥や獣はおろか虫さえも寄りつこうとせんからな。安全といえば安全」

〔道理で、とんと動くものの姿を見掛けんと思った。あんたの殺気が原因か。けど、それを物ともせずにやってくるとは、弱いのか勇気があるのかわからんな〕

「生への意志が本能的な恐怖に打ち勝ったというところか。──まあ、何にせよ、俺にとっては、大勢と闘う機会をもたらしてくれる有用な鳥だ。ついてきてくれるなら、それに越したことはない」

〔そうかな? 岬護家にとっても、有用な鳥だと思うが。白いカラスなんて、滅多にいるもんじゃないから、あんたとの繋がりはすぐに知れる。居場所が筒抜けになって、休む間もなく狙われ続けるぞ〕

「──大丈夫だ」

 幻三郎は、望むところだ、とは言わなかった。岬護幽一郎や衛士達との決闘で思わぬ苦戦を強いられたことで、自分の強さに絶対の自信を持てなくなってしまったのだろう。

〔やれやれ。本当に大丈夫かな。さっさとつまらん意地を捨てて、脳天気に最強無敵を誇った方が、人生、楽しいぜ〕

「言うな!」

 たちまち苛立ちを露にして、幻三郎が怒鳴る。この話題に関しては、軽口を聞き流す余裕すらないことが明白だった。

〔わかってる。他人の生き方に口を出すなって言うんだろ〕

 風が幻三郎の背中でもどかしげに蠢く。

 白いカラスが、ギャアと啼いた。

              

 第二話   完

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コメント 2

There are no comments yet.
山口ジジイ
2017/05/08 (Mon) 03:10

おお、時代劇小説ですね
私は時代劇が好きになりました
といっても大衆演劇ですが

Anthony
2017/05/09 (Tue) 01:36

山口ジジイ さん、

 僕も時代劇、時代小説が好きになりまして、池波正太郎 作品を読んでいますよ。

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