特大家族 第二章 リセットスイッチ その3 (小説)

朝礼のチャイムが鳴り、教室に担任が入ってきた。


 担任の名は宮城リツコ。言わずと知れた楓の母親である。


 同じクラスに松之進がいることを考えても、たまたまそうなったとは考えにくい。覇斗をサポートしようとする学校側の意図が見て取れる。

 リツコは、全身UVカット加工の衣類で指の先まで完全防備し、顔面も紫外線対策のファンデーションをゴテゴテに塗りたくっていた。












投稿者:クロノイチ


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 見る人が見れば色っぽい美人なのだろうが、残念ながら覇斗の心はピクリとも動かない。例の鼻の下の溝アレルギーのせいである。

 担当教科は女子の体育。今日は外での授業があるのだろう。

「今日の予定を言います。高柳さん以外は一限、全校集会。二限から五限までは高柳さん以外、時間割通り。六限は高柳さん以外、特別清掃。高柳さんは全時間いつもの通り自習で。今日は校長先生が一日出張なので、エアコン付きの校長室の使用もOKです」

 覇斗はクラス中の羨望の視線を一身に集めていた。見事なまでの特別扱いである。彼は中学の内申書と入試の結果が抜群で、最優秀特待生として学費免除となり、入学当初から目をかけられていたのだが、六月の頭からは完全なるVIP待遇にされてしまった。よほど中間テスト全教科満点のインパクトが強かったのだろう。

 創立以来一人として国公立大学の合格者を出したことのない学校に、いきなり東大を狙える生徒が来たことで、学校側が異様に浮足立ってしまっている感じである。

 覇斗は机の中から問題集を取り出し、早速勉強を始めた。実は朝礼も免除されているのだ。授業より内職を奨励するところが、この学校の教育の限界を示していた。各教科ごとの宿題も他の生徒の手前、一応課せられているだけで「時間がもったいなければやらなくてもいい」とまで言われている。

 教室内で自分だけ違うことをすることに常々居心地の悪さを感じていた覇斗は、二限から校長室に移った。校長用のゴージャスな執務机で勉強するのはさすがに気が引けたので、応接セットのフカフカのソファーに腰掛ける。思わずあくびが出た。一人きりになるとさすがにだらけてしまう。だがなんの問題もない。元々、一分一秒を大事にして勉学に励む必要など彼にはないのである。彼は、自分に合った効率のいい勉強の仕方を、独自の研究の末に身に付けていた。さらに、速読・高速記憶(事柄系)・瞬間記憶(映像系)・高速思考・多重思考──これらの技術を中学時代、猛特訓の末に習得したことにより、短時間の集中勉強で以前の何倍もの勉強がこなせるようになっていたのだ。

 自主勉強に一区切りがつくと、覇斗は応接セットのテーブルでシャドウ指相撲を始めた。割と本気の練習である。彼の技は一部を除き、まだ実戦の洗礼を受けていない。去年の大会前、まだ元気だった祖父に持ちかけて、遊びがてら試させてもらった程度だった。そこそこ強かった祖父にも通用したので、実戦でも充分使えることは確認済みだが、相手が楓となるとまだ心許ない。教えてあげると大見得を切った手前、恥ずかしい失敗は是が非でも避けたかった。

(渡辺でも練習相手に雇うか)

 親指を激しく旋回させながら、覇斗はそんなことを考える。渡辺は空手部員であり、クラスの中ではかなり運動能力が高い方だ。鍛えれば充分モノになりそうである。

 そして昼食タイム。昼休み三十分間百二十円都度払いで、渡辺との間に雇用契約が成立した。


 放課後、覇斗は生徒会室で一人、二学期の文化祭の企画書を仕上げていた。去年の企画書の焼き直しなので、難しいことは何もない。現在、覇斗は一年生ながら生徒会の副会長である。この学校の生徒会は、会長こそ選挙で選ばれるものの、副会長以下は全て学校の推薦により決定していた。なぜそうなのかというと、選挙で選ばれる会長が大概ろくなものではないからである。四月の前期会長選挙は告示期間内に立候補者が現れず、三年の各クラスに候補者の推薦が要請された。そして、どのクラスでも厄介事の醜い押し付け合いが繰り広げられ、すったもんだの末に晴れて当選したのが三年一組推薦のA氏(仮名)。選挙前から引きこもりで学校には全く来ていない。

 そのため覇斗は実質的に生徒会長の仕事もやる羽目になっていた。ぱっとしない高校の生徒会長代行なので権力も責任も仕事の内容もそう大したものではない。ただ、会長と副会長の二人分の仕事を任せられる分、分量だけは洒落にならないほど多かった。

 しばらく仕事を淡々とこなしていると次第に飽きてくる。こんな時は得意の多重思考の出番だ。思い出されてくるのは、五月の宿泊学習でのことである。渡辺と松之進が同室で、消灯後に他の同室の連中と一緒にたわいもない恋愛話で盛り上がった場面だ。クラスの誰それが好きだとか、誰と誰が付き合っているとか、文化祭までに彼女作ります宣言とか、本当にどうでもいい話ばかりだったとはいえ、覇斗には新鮮で楽しい会話だった。当然、彼も話の輪の中に積極的に入っていき、場を盛り上げたものである。

 それまで覇斗は、優れた容姿や能力、人付き合いの良さ、友好的な性格などから、「羨ましくも憎らしいモテモテ野郎」 に違いないと勝手に皆から思われてしまっていた。そんな間違ったイメージを払拭するいい機会だったのだ。

(恋愛かあ)

 覇斗が機械的に作業を進めながら独りごちる。

 ちょうど回想は、恋愛談義の最中、覇斗が 「かつて誰とも付き合ったことがない」 と告白した場面に到達していた。「まさか」 「そんな馬鹿な」 「ありえない」 の声が口々に飛び交い、嘘つきを見るような視線が一斉に覇斗に浴びせられたシーンだ。その時の覇斗は、中学時代にカノジョができなかった事情を懺悔と禊のつもりで馬鹿正直に話し、事態の収拾を図った。そして、以下の会話に続いていく。

「──もったいねえ……」

 誰ともなくそんな声を発し、就寝モードの暗い灯の下、部屋の中が黒い溜息に包まれた。

「普通、鼻の下なんて、そんなに気になるか?」

「だよな」

「わからんこともないぜ。俺はボコッと盛り上がったホクロのある奴が苦手だ」

「ああ、それなら俺も。だが鼻の下の溝はどうでもいいな」

「確かにどうでもいい」

 やがて覇斗に一人がおもむろに訊ねてくる。

「──ところで、高柳は今、好きな女いないのか?」

 いずれは来るだろうと予想していた質問だった。覇斗は自分が交際を申し込まれなくなった事情は説明したが、なぜ自分から好きな相手に働き掛けなかったのかということには、まだ触れていない。好きになれる人にたまたま巡り合えなかったのか、そもそも恋愛というものに疎いのか──その辺のところを明確にしていない以上、直球でそんな問いが出てくるのも当然だと思う。

 覇斗はゆっくりと自分自身のことを振り返りながら答えた。

「うーん、とね。結構いるよ」

「結構?」

 その場の雰囲気がたちまち戸惑いに満ちたものに変わった。

「うん。僕はね、惚れっぽいのかな? ──自分と楽しそうに話してくれたら、それだけでもう大好きになってしまうんだ(ただし鼻の下の……以下略)。だから好きな人はいっぱいいるよ」
 
 それはまぎれもない覇斗の真実である。小説やドラマのような一途な恋心など、彼は一度として抱いたことがない。

「マジかよ。それってLOVEじゃなくて、LIKEじゃね?」

「恋じゃねえだろ」

「わからない。だけど大好きは大好きなんだ。そして、僕の中で、好きという感情が同時に複数成り立つことは、そんなに珍しいことでもない」

「節操ねえなあ」

「浮気性かよ」

「そうなのかな? それもわからない。恋愛感情かどうかはっきりしていないから。一応、既婚者や彼氏持ちや小学生以下は自然と対象外になるから、普通の好意とはちょっと違う気がするんだけどね」

「そういう意味の節操はあるんだな」

「好きだという感情が込み上げて、告白したい衝動に駆られることはかつて何度かあったよ。もしかしてこれが恋か、と思ったこともある。でもね、他に好きな人がたくさんいる状態で、告白なんかするのは相手に失礼だと思うし、一時の気の迷いだった場合、取り返しがつかないことにもなりかねない。──と、いうわけで、自分からのアプローチは今のところ思いとどまってる」

「そんな深く考えなくたっていいんじゃないか? たった一度きりの青春、リビドーに任せるのも一興ってもんだ。後先考えずやりたいようにやるのが若者の特権だぜ」

 一人がそんなジジくさい台詞を吐いた。覇斗の記憶では、そいつの家は大家族である。年寄りの影響で、家族揃って茶の間のケーブルTVで昭和の青春映画を見ているという話を聞いたことがある。もっとも、そういった言葉をを違和感なく聞けてしまう覇斗もある意味同類だ。祖父との二人暮らしが長かったためか、随所で古い言い回しや昔の流行語をつい使ってしまい、時々それでからかわれる。

「いやハト。お前は告白なんかしちゃいかん」

「そうだ、止めておけ」

 突如、渡辺と松之進が慌てた様子で口を挟んできた。

「うん。僕もそのつもりだけど、君らはどうしてそう思うんだい?」

「お前のたくさんある 『好き』 という感情はな、ただの 『LIKE』 じゃねえ」

 松之進が言った。渡辺に何やら目配せをした後、松之進がそのまま続ける。

「── 『LOVE』 の芽だ」

「『LOVE』 の芽?」

「ああ。芽であってまだ 『LOVE』 になりきってないから、幾つだって存在できるんだ。お前が今、好きと思ってる相手のことを考えてみろ。いつかは疎遠になるかもしれない。ケンカするかもしれない。相手の関心が他の男に向くかもしれない。そうなった時、好きなままでいられるか?」

「それは無理かもな」

「だろ。そうやって一つ、二つと『LOVE』の芽は間引かれていく。だが逆に、楽しく会話する時間が増えたり、特別に気に掛けてもらえるようになったりしたら、どうだ?」

「もっと好きになる気がする」

「そうだ。 『LOVE』 の芽は次第に伸びてやがて大きな花を咲かす。それが本物の 『LOVE』 だ。だからハト。今は待て。大量の芽の中から一本だけがスクスクと伸びていき、お前の心臓を鷲掴みにするのをな。決して早まるんじゃないぞ」

 それは堂々たる忠告だった。それなりに筋も通っていた。口調も全然松之進らしくなく一言一言に説得力があった。渡辺も我が意を得たりとばかりに大いに頷いている。覇斗も一部を除いて納得できた。

(同時に芽が何本も伸びて、一斉に花が咲いたらどうなるんだ?)

 ちょっと想像してみる。一瞬、嬉しいような恐ろしいような未来が覇斗の脳裏を横切った。──が、それはあくまでも極端なケースである。覇斗は滅多なことは起こるまいと判断した。

「わかったよ。待ってみる」

 松之進はその言葉を聞いてなぜかにんまりとした笑みを浮かべた。実は、自分が密かに想っている相手に覇斗が告白してきやしまいか、と松之進は真剣に恐れていたのである。渡辺も同様だった。二人が好きな相手はいずれもクラスメイトであり、覇斗と楽しく会話している可能性が大いにある。しかも、鼻の下の条件もばっちりクリアしていた。もしも覇斗が抑制をかなぐり捨てて欲望のままに立ち回るようになれば、全てに劣る自分達に勝ち目はない。だから必死の思いで覇斗を説得にかかったのである。

 そんな身勝手な事情があるとは露知らず、覇斗は渡辺の忠告のままに、今まで通り自分からは動かないと決めた。自分の恋愛に対する感覚がどことなく一般的な常識とズレていることを自覚している以上、根拠もなく他人の意見を否定することはできない。それに、いつか心臓を鷲掴みにされるような本物の恋愛の感覚が味わえるのなら、『LOVE』 の芽を気長に育ててみるのもいいかという、期待にも似た思いもあった。

 さて、続いて脳裏に浮かんできたのは、四月のとある日の速彦との会話である。恋愛繋がりということで、なんとなく意識に上ってきたようだ。速彦は中学三年の時、「恋愛ごっこ(本人談)」 にかまけて志望校のランクをを下げなければならなくなった過去を持つ。ゆえに速彦の言い分はこうだった。

「恋愛は人を愚かにする。女はそれでかわいくなるが、男は大概ろくなことにならん。自分の将来を台無しにしたくなかったら、大学入学までひとまず自制しろ」

「高柳、君ははっきり言ってモテ顔だし、頭も性格もいいし、特技も数多い。その上、元総理の孫で、莫大な遺産を受け継いでいる。恐ろしいまでにパーフェクトだ。絶対に女が放っておかん。だが迂闊に手を出すな。自分から仕掛けるのはなおさら駄目だ。待って待って待って、とことん選り好みしろ。君はそれができる立場の人間だ」

「結果として誰ともうまく行かなかったとしても、君は何も失わない。つまらん相手と付き合うことの方が失うものは多いぞ」

「ガキの頃からカップルでイチャイチャやってる奴は、みんな負け組だ」

 正直なところどれもこれも極端過ぎると覇斗は思ったが、恋愛経験者からの貴重な意見には違いないため、頭の片隅には置いておくことにする。

(どっちみち、待ってればいいんだよな)

 なんとなく物足りない気もするものの、それを覆す積極的な理由もない。だんだん考えるのも億劫になってきて、多重思考が途切れた。集中力の衰えを感じる。

 その刹那、速彦の言葉の中で最大級のインパクトを持ったものが、不意に覇斗の脳裏に鮮やかに蘇ってきた。

「高柳。── もしも、もしもだが、君がウチの女どもの誰かと付き合うことになったとしたら、その時はこの宮城速彦、何も言わずに心から応援しよう。しかし、一つだけ肝に命じておいてほしい。一つ屋根の下に住んでて、何か関係をこじらせるようなことがあれば、毎日が『針のむしろ』だぞ。ゆめゆめ忘れるなよ」

 惚れっぽいと自認する覇斗が、美人だらけの宮城家で常に自制心を忘れず紳士的に振る舞えるのは、持ち前の諦めの良さに加えて、この言葉の印象があまりにも強烈だったからである。


続く


 主人公の変人度合いがさらに増しました。どんなに性格のいい人間でも、やはりどこかに癖や偏りは出てくるものですね。

 さて、次回は「僕が考えたジャンケン必勝法」が出てきます。一般人ではまず実現不可能ですが、世界一の動体視力と反射神経の持ち主ならあるいは。恐らくどこにも出ていない必勝法のはずです。(違ってたらすみません)

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