特大家族 第二章 リセットスイッチ その2 (小説)

午前七時半、覇斗は平野松之進と連れ立って自転車で光城高校を目指す。


 二人の男子中学生も同じく自転車通学だ。

 
 マイクロバスは既に出発していた。三往復もする夕方と異なり、朝は一便のみの運行だ。

 バスに乗らない者は、家族や居候の自家用車に分乗し、各自の目的地に向かう。

 覇斗と松之進が一年一組の教室に入ると、友人の渡辺健司(わたなべ・けんじ)が早速 「よっ」 と言って擦り寄ってきた。












投稿者:クロノイチ


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 この高校は、比較的成績の悪いタイプの生徒が集う学校ではあるものの、生徒の柄は悪くなく、覇斗にとっては居心地がいい。

 教職員の採用条件に「武道の有段者であること」という項目があるため、不良にはとことん人気がないのだ。渡辺は州立準進学校の不合格組であり、それなりに勉強の話題にもついてこれて、覇斗としても話しやすい男である。

「なぁ高柳ぃ。宿題写させてくんなーい」

 いきなりこう言ってくる男だが、これでも結構ましな部類なのだ。そもそも他の連中は宿題を提出しようという気が全くない。不良でないとはいっても、勉学に熱心とは限らないのだった。

「いや、自分でやって」

 覇斗はあっさり断った。彼は男には厳しい──というわけでは必ずしもなくて、これは、相手のためにならないことはしないというポリシーに基づく行動である。

「じゃ、平野、頼むわぁ」

「百円」

「一円」

「九十九円」

「二円」

「九十八円」

「三円……」

「九十七円」

 刻みが細か過ぎてなかなか商談が成立しそうにない。渡辺の家は裕福ではないので、彼の小遣いも乏しかった。こういうところでの出費はなるべく抑えたいと思っているらしい。

「……六円。こ、これ以上は」

「しゃあない。それで手、打ったるわ」

 松之進の温情により、覇斗の予想を裏切る早さで商談は終わった。ただし、その宿題の中に五割以上正解が含まれている可能性は極めて低い。

 ちなみに直近のテストの総合順位は、覇斗が全教科満点の一位、松之進が二百点差をつけられての二位、渡辺が僅差の三位だった。他の生徒の学力は推して知るべし、である。

 渡辺は財布の中から一円玉を六枚取り出し、名残惜しそうに松之進に渡した。

 渡辺の家は十人家族で、彼は六人兄弟の末っ子である。この時代、少子高齢化の流れに歯止めが掛かり、大勢の兄弟姉妹を持つ者が増えてきている。家族も二世帯同居、三世帯同居の大家族の割合が増え、最近では十人を越える大所帯の家族も珍しくない。宮城家は群を抜く規模の大家族だが、それでさえ世間から奇異に思われるほどではなかった。むしろ国の施策に忠実な模範的大家族として賞賛を受けることの方が多いくらいである。これは第二次高柳内閣時代に施行された「家族金庫法」の影響によるところが大きい。

 家族金庫法は、六人以上の同居家族のいる家庭に家族金庫の設置を認める法律だ。「金庫」といってもお金や証券を入れる金属製の箱のことではない。どちらかというと「口座」に近い意味合いを持つ。家族金庫を持つと、家族全員の納付した所得税が毎年一億円を限度として全額そこに還付される。そして、その家族が住む家を新築・修繕する場合や、介護を要する人間を自宅で介護する場合など、特定の条件を満たした時に限り、その費用を、還付されたお金の中から引き出すことができるのだ。

 これは国民の何割かをを大人数の家族に移行させることを目的とした、大家族優遇政策の根幹となる法律である。ただ、法律の要件を満たすような家族を持てない・持ちたくない人間が不公平感を抱かないよう幾つかの配慮がなされていた。

 まず、家族金庫の中のお金は個人の財産とならない。所定の審査を経て引き出されるまでは国の所有であり、家族の死亡・転出等で家族金庫設置の用件を満たさなくなった場合、一定の凍結期間の後、国庫に全額返還される。また、偽装養子縁組などの不正を防止する対策もしっかりとられていた。そして、大家族が児童の保育や要介護者の介護を行う機能の一翼を担うことで、児童保育施設や老人保健施設などへの入所を待つ「待機者」の問題がクリアされ、就労意欲のある者が誰でも安心して仕事に行ける環境が生まれるというメリットが生じる。

 家族金庫制度の運用には、家族の扶養義務の強化に伴う生活保護費の圧縮、児童福祉制度や老人福祉制度の抜本的見直しにより捻出された財源が主として当てられている。さらに、大家族化の進行は、世帯数の減少に伴う様々な省エネ効果を生み、都市部への人口流出を防ぎ、少子化を改善する効果もあることから、国の省エネ対策費、過疎化対策費並びに少子化問題対策費からもそれぞれ相当な金額が支出されていた。

 渡辺の家は十人の家族が全て同居しており、家庭金庫の設置用件を満たしている。ただ目下のところは、何の恩恵も蒙っていない。なぜなら働き手のがことごとく低所得者であり、還付されるべき所得税がそもそも一円もないからだ。だが、夢はある。兄弟揃って高額所得者になり、親や祖父母と一緒に住むでっかい屋敷を建てる夢だ。

  余談だが、渡辺は今を「シフクの時」と呼んでいる。「至福」と「雌伏」、どっちのつもりかと覇斗が突っ込んだところ、「どっちでもない」という答えだった。よくよく話を聞いてみれば、言葉自体、長兄の受け売りであり、本来は「雌伏の時」の意だったのを、渡辺が勝手に「私腹の時」と思い込んでしまったらしい。小遣いを貯めて私腹を肥やす時なのだそうだ。「私腹を肥やす」の意味すら完全に誤解していた。

 さて、一方で宮城家の家族金庫には毎年、年限度額いっぱいの還付があり、全館改築リニューアルオープンができそうなくらいな金額が貯まっている。なんといっても源太郎がミヤシロ電機の全株式の二十パーセントを未だに保有していることが大きい。何しろ株の配当金の所得税だけで四千万円を越えるのだ。しかし、宮城家が大家族なのは、別段、家族金庫の恩恵を狙ってのことではない。

 元々、高柳内閣の大家族優遇政策の推進に当たっては、源太郎が影の屋台骨として極めて大きな役割を果たしてきた。大家族の社会的・経済的メリットを大々的に打ち出し、一定の国民の支持を得た上で、徐々に家族というものに対する国民一人一人の意識が変革されていくことを願う──それが時の内角総理大臣高柳隼介と源太郎の当初からの方針である。

 高柳首相は、日本人の心から、家族に尽くし家族のために生きる精神が失われつつあるのを憂えていた。

「家族のことさえまともに思いやれない人間に、他人のことは思いやれない。他人のことを思いやれない人間に郷土や日本、世界を思いやれるはずがない。だからまず家族を考えよう。家族を作り直そう」

 それが高柳首相の持論だった。その奥底には、

「家族のために己が犠牲になるのではない。家族と一体となり支え合って生きるのだ。己が自分への執着心から解放され、本当の意味で楽に生きられるようになるきっかけとしては、家族とともに在る生き方が最もふさわしい」

 という、宮城家の家訓に通じる信念が秘められている。

 源太郎にとっても真に大事なのはそれらの精神だった。家族金庫による経済的支援は付録に過ぎない。ゆえに宮城家の大家族化は、家族金庫法施行後も即座には行われなかった。

 確かに現在は、源太郎の子供や孫が一つの家に集結しているが、それは、経済的な事情とは別の様々な事情が重なってのことである。宮城家の家訓は、本来、家族が離れて住むことを否定していない。宮城家は、一人一人の距離はどれだけ離れていようとも、常に心で繋がった一つの家族として在り続ける。ただ、必要とあれば、速やかに寄り添い、互いに助け合い、足りない部分を補い合うのもまた、宮城家の家風なのだ。

 覇斗のクラスには他にも何人か、家に家族金庫を持つ者がいた。法律の恩恵で新築の豪華な家に住む者もいる。「まだまだ」と家族金庫に貯め込み続ける家もある。別の友人は、六人家族の中に重度の認知症の老人を二人抱え、家族全員が辛い目に遭っていた。それまで貯めてきた家族金庫のお金を消滅させたくないために、老人介護施設に入れられないのだという。デイサービスやショートステイなどの費用は家族金庫から出るものの、家族皆、疲労困憊らしい。みんなを幸せにできる完璧な制度なんてないな、と覇斗はつくづくそう思う。


続く



当初、宮城家が大家族であるための社会的なバックボーンとして、「家族金庫」という制度を考えていました。

 ところが宮城家は最初から大金持ちだったため、この制度の恩恵があまりありません。やむなく家族のそれぞれの事情によって一カ所に合流したという、あいまいな設定になってしまいました。

それでも、「家族金庫」の設定によって、宮城家という大家族の存在が周囲から奇異に思われない理由を説明できたわけですから、まあ良しとします。

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