特大家族 第一章 「アレ」 の達人 その11 (小説)

試合が始まると同時。楓が自分の親指に意識を振り向けた一瞬、覇斗の肘がガッと大きく外側に広げられた。


 細かいフットワークによる身体ごとの小刻みな移動と姿勢の変化。肘の位置は目まぐるしく変わり、その最中、覇斗は腕を前後左右に揺さぶりつつ、手首を蛇のように内へ外へと激しく屈曲させる。


 それはまさに電光石火の奇襲だった。

 (こ、これは去年と同じ……!)












投稿者:クロノイチ


にほんブログ村 その他趣味ブログ 多趣味へ FC2ブログランキング  
学問・文化・芸術 その他へ ← クリック投票に協力を! 編集部・執筆陣のやる気がUPします!
 対応が後手に回り、翻弄される楓。元来攻撃的な動きを信条とする彼女は、相手の指の届かない安全地帯(通称・エスケープゾーン)に親指を移動させることに思いが至らなかった。

 肘と腕と手首と親指が複雑に連動する激しい動きの中から、覇斗の親指が疾風の速さであらぬ角度より飛んでくる。反射的に避けた。が、刹那の差でかわしきれない。

 (しまった。けど浅い。抜けられる!)


 親指の爪の真ん中を押さえつけられた感触である。指を思いっきり引き抜けば、難なく逃げられるはず、だった。

「一、二、三……」

 覇斗がなぜかゆっくりめにカウントする。

 (ぬ、抜けな、い。どうして?)

「四、五……」

 親指の先端しか押さえられていないのに、楓が全力を出しても引き抜くことができない。絶対にありえないはずの事態だった。

 (なぜ? あたしの方が指の力は上のはず。なぜなの? 抜けろっ!)

「六、七、八……」

 無慈悲に確実に覇斗のカウントは数を増していく。

 しまいに楓は覇斗の真似をして、肘や手首を乱暴に動かし、強引に逃れようとした。しかし、覇斗にその動きを巧妙に相殺され、全ては徒労に終わる。

「九、十。──僕の勝ちだ。のんびりと二十カウント分ぐらい押さえさせてもらったよ」

「負けちゃった。あっという間に。何もできないまんま……」

 楓は呆然自失の体で視線を虚ろに彷徨わせ、立ち尽くした。

「慰めるわけじゃないけど、去年よりは僕の動きに対応できていたよ。だから、押さえ方が中途半端になってしまった」

「でも、どうしても抜けなかったわ。あんなに浅かったのに。まるで手品でも使われたみたい」

「手品じゃないさ。僕が使ったのは 『技』 だ。勝つための努力の果てに身につけた奥義といってもいい」

 知りたい、と楓は強く思った。覇斗の「技」を。そこに至る努力を。

「手品じゃなかったら、教えてはもらえないの?」

 楓としてはもとより駄目元だった。幾ら家族に近い間柄でも、強さの根本に関わるようなシークレットまで教えてもらおうというのは、さすがに厚かましいように感じられる。

 ところが、覇斗は平然とした顔でこう言ったのだった。

「別に隠すことなんて何もないよ。僕はもう大会には出ないつもりだから」

「ええーっ! なんでなの? あたしはあんたを目標にしてるのよ。去年の優勝者のあんたが出なくてどうすんの!」

 思わず楓は大声で叫んでしまった。

「と言われても、僕がアレを始めたそもそもの動機がとっくに失われてしまっていて、モチベーションが保てないんだ。勿論、アレが嫌なわけじゃない。アレ自体に僕を奮い立たせる魅力があれば、きっとやる気も出たんだろうけど、去年の様子じゃ、大会に出たってつまらないだけだろ」

「……」

「これは譬えだけど、ボクシングの大会なのに参加者の中で僕だけがボクシングのトレーニングを積んでいるって感じなんだ。一生懸命ボクシングの理論や技術を覚えて大会に備えたけれど、相手の方はただのケンカ自慢。勝利は目に見えている」

「あたしは、あんたがいまいちアレに乗り気じゃないのは、どうせ楽勝だと高をくくって、思い上がってるからだと思ってた。だからあんたを見返してやろうと真剣になったの。でも、あんたはただつまらないと思ってたのね。つまらないって……」

 楓は悲しげな瞳で覇斗を見つめた。

 明朗快活にして負けん気の強い楓の表情に落ちる暗い翳。覇斗は思わずドキリとして、後ろめたさを感じずにはいられなかった。

「結局僕は度を越してしまったんだ。遊びのイベントなら遊び気分にとどめておくべきだった。今ではつくづくそう思うよ。そこに自分を変える何かがあると思い込んで突っ走った結果、潰しの利かない技術だけが残った。教えてほしいなら、いつでも教えてあげる。だけどつまらないよ。去年の大会の決勝戦でさえ、全く使う必要を覚えずにすんなり勝ててしまったくらいだ。使い道が見つからない」

「あんたを越えるには必要なことなんでしょ。だったら教えてほしい」

「僕を越えたって、誰も褒めちゃくれないよ」

「いいのよ。あたしさえ満足できれば。だからお願い」

 切羽詰まった顔で楓が食い下がる。

 覇斗はあっさりと根負けした。最初に隠すつもりがないと言ってしまった以上、どうしても聞きたいと言われれば話さないわけにはいかない。

「そこまて言うなら、わかった。もうこれ以上忠告はしない。教えるよ。今すぐにでも教えてあげる。僕も素直に本音を言うよ。実はずっと迷っていたんだ」

「迷ってた?」

「楓さんはアレをやっている時、本当にに生き生きと楽しそうだ。心の底から楽しんでいるんだろう。僕は、いつまでもそんな君であってほしいと思ってた。強くなり過ぎてつまらなそうにしている君を見たくはなかった。しかし、どこまでも強くなりたい心、どこまでも強くなれる可能性、君には全て備わってる。それらを全部埋もれさせてしまっていいのかって思いも、どこかにあった」

「そうなんだ」
「だから挑発してみたり、どうでもいいよと言ってみたり、突き放してみたり、迷走しまくったんだ。随分気を悪くさせたと思う。ごめん」

「馬鹿ね。あんた、あたしが強さを求めているのがわかってたんでしょ? だったら最初から何も考えずに持ってるものを提供すればよかったのよ。そうすれば、『つまらない』なんてことはなかったのに。『つまらない』のは独りぼっちだからでしょ。これからは二人いるじゃないの。──あんた、自分が『いち抜けた』することを前提に、あたしに教えるか教えまいか迷ってたんでしょ」

「あ……」

 図星だった。

「絶対、絶対にあんたと対等になってみせるから。あんたがこれまでやってきた勝つための努力──それが無意味じゃなかったってことを、あたしがきっとあんたに教えてあげるから……」

 楓は右手の人指し指を覇斗の鼻先に突きつけた。

「あんたが大会に出ないっていうのは、無しね。大会であたしがあんたを越えるその日までは、付き合ってちょうだい。あたしも『つまらない』のは嫌だから」

「あ、うん。──わかった」

 どう考えても楓が一方的に得するだけで、覇斗になんのメリットもない話だったが、不思議と素直に受け入れることができた。


「ふふ。あんたに勝てなかったことだけがあたしの心残りだったのよ。その願いが叶ったら、アレ三昧にもやっと一区切りつけられるわ」

「え、楓さん、アレやめられるの?」

「誰がやめるなんて言ったのよ。アレを中心に回っていた生活を、ひとまず見直してみようかなってこと。遊びとしてのアレはやりまくるわよ。アレはレクリエーションとしてもコミュニケーションを深める手段としても最高なんだから」

「そうなの?」

「異論は認めないわよ。──さあ、話は決まったわ。早速さっきの試合、解説してちょうだい。どんな技なのか知りたいわ」

「気が早いね。それじゃ、実地でやってみよう」

 二人は再び右手を握り合った。二人とも手が少し汗ばんでいる。楓は興味津々の面持ちで、覇斗の右手の動きを目で追った。

「まず、さっきの奇襲について話すよ。これは試合開始と同時に肘と腕と手首と親指を複雑に連動させて攻撃する技だ。基本的に、動いて動いて動きまくる。相手の動きに合わせて臨機応変に対応するんだ。必要なら肩を相手にぶつけない範囲で場所移動もするし、姿勢も変える。欅のテーブルではとても実行するのは無理だったけど、ちゃんとした試合台を使い、立って勝負するならこの威力だ」

 覇斗は実際に試合の動きを再現してみせた。

「動きが激しくて次が予測できないのね。こっちが色々と仕掛けようとしてもその動きの中でみんな受け流されてしまう」

「これがまともに決まれば相手は完全に後手に回り、逆にこっちは先手先手で攻められるため勝つチャンスはかなり増える。相手には、エスケープゾーンに逃げ込むという選択肢もあるけど、『十秒以上エスケープゾーンに留まり続けると相手に技あり』というルールがある以上、いつかは打って出なければならない。そのタイミングも狙い目だ」

「なるほど」

「ただ、本質はあくまでも奇襲だよ。僕の技は全部が全部、『自分より遥かに力の強い相手に勝つ』 という目的のために作られている。この技の狙いは、元々 『試合開始直後の相手の虚を衝き、主導権を握る』 ってところにあるんだ。だから、大会で弱い相手に連発するのはお勧めしない。肝心の時に奇襲の効果が失われてしまうからね。相手を選んで、この 『ライトニング・アタック』 を使ってほしいな」

 楓は目を点にして覇斗を見た。

「ライトニング・アタック? ──何そのありきたりな名前。ゲームかマンガでメチャクチャ使われてそう。ネットで検索かけたら山ほどヒットするんじゃないの?」

「中学生の時に考えた名前なんだから、勘弁してよ」

「せいぜい一年前のことでしょ。遠い昔のことのように言うんじゃないの」

「厳しいな」

 覇斗は苦笑いをしながら頭を掻いた。

「さ、次の技を教えて」

「あれ、ライトニング・アタックの練習しないの?」

 拍子抜けした表情で覇斗は楓を見た。楓は、当然よ、といった風情で至って真顔である。

「次の技の概略を聞いてからね。あの時なぜ指が抜けなかったのかが知りたいのよ」

 そう言われて腑に落ちた覇斗だったが、楓に急かされたためか、なんとなく天の邪鬼な気分になった。もったいをつけて技の説明をすることにする。

「譬えるならコロンブスの卵さ。気付いた瞬間になあんだと思い、誰でも使えるようになる単純な技だ。しかし、威力は最強。だからこそ恐ろしい。去年の大会でも、使ってくる相手がいるんじゃないかと、気が気じゃなかったよ。──技の名は 『シークレット・バイス』 」

「バイス? 万力のこと?」

「そう」

 覇斗は自分の親指の腹で、楓の親指の先を軽く押さえた。

「抜いてみて」

「さっきより浅いじゃない。幾らなんでもこれは抜けられるでしょ。──ウソ!」

 散々頑張って、七カウントでやっと指を抜くことができた。

「ほら、技あり。上から押さえつけられてる感覚に意識が捉われて、下から押し上げられてるのに気付かないんだよな」

「え、もしかして人指し指、使ったの? ズル?」

「いや、合法さ。ルールじゃ、人指し指で相手の親指を引っかけて倒す行為は禁止されてる。だけど、それ以外に人指し指の使用を禁止する規定はないんだ。しかも、技を受けている当人でさえ気付けないんだよ。問題にされることはまずないね」

「親指と人指し指で上と下から挟み付けるから『バイス』なのね。単純計算で二倍の力。ホント今日からでも使える技だわ。あんた、やるわね」

「ほんの序の口さ。シークレット・バイスは練習が要らないから、今日はもう一つ教えるよ」

 覇斗はそう言って自分の親指を倒し、楓に完全に押さえ込ませた。

「何? 今度は逃げる技? これだけガッチリ決まっちゃ、無理でしょ」

「ぶっちゃけ、シークレット・バイスを使われたら駄目だけどね。普通に押さえられる分には、なんとかなるんだよ、これが」

 楓が全力を込める親指の下で、覇斗の親指がモソモソと動く。次の瞬間、スポッと音を立て、いとも簡単に抜け出してきた。

「えっ。どうやったの?」

 あっけにとられる楓を見て、覇斗が少し得意気に笑う。

「普通、脱出の時は、親指を上に押し上げたり左右や手前にずらしたりして、それを繰り返しながら強引に引き抜くよな。言わば、行き当たりばったりで」

「うん。脱出法なんて深く考えたことなかったわ」

「この『ディープ・エスケープ』は闇雲に逃げるより、ずっと理に適っていて効果的だ。まず一旦、全力で親指を持ち上げにかかり、次の瞬間に勢いよく押し下げる。その時生じる僅かな隙間から指を一気に引っこ抜くわけさ。三つの動作で素早く脱出できるから、少々キツイ押さえ込まれ方をしたって、技ありや一本を食らわないで済むんだ」

「そんなんでいいの? ホントに簡単ね」

 覇斗が説明がてら両手の親指で実演してみせると、素直な楓はあっさり納得してしまった。もう少し補足しようとしていた覇斗としては、なんとも物足りない結末である。よって勝手に解説を付け加えることにした。

「元々、指には弾力があるから、ガッチリ押さえつけられても、その分だけは微かな緩みができる。それを最大限に生かすために今言った方法を使うんだ。それと、指を押し下げたその一瞬は、こちらの加速が相手を上回ることから、特に緩みが大きくなる」

 覇斗は、ゆっくりとした指の動きでわかりやすく原理を示した。楓も自分の親指で早速真似をしてみる。

「ああ、こういうこと。結構タイミング掴むの難しいんじゃない? これのどこが『簡単』よ」

「それは楓さんが自分で言ったことだよ」

「あら、そうだっけ。そりゃゴメン」

 照れ笑いをした後、楓はあきれたような笑顔で覇斗を見た。

「それにしてもこんなの、よく考えついたわね。──『技』かあ。あんたが言う『勝つための努力』の意味がやっとわかった気がしたわ」

「まだまだ。『技』を身に付ける以外に、毎日の地道な努力も必要だよ。今はここにないけど、去年は指サックに重りを仕込んだものを親指に嵌めて、来る日も来る日もグルグル回してたもんだ。親指立て伏せもいい訓練になるよ」

「そこまでくると変態の香りがするわね」

「ピアニストが毎日何時間も練習するのと同じことだよ。──あ、そういえば今さら聞いてもしょうがないけど、ピアニストって手を大事にしなけゃならないんだろ? こんなことやってていいのか?」

 「ぜーんぜん」 と楓が即答する。

「あたしはね、アレが強くなるからって言われて、騙されてピアノを始めたの。──でも、本当に強くなったから、騙されたってわけじゃないか……。とにかくあたしの中ではピアノはアレの肥やしみたいなもの。ピアノのためにアレを抑える気なんてさらさらないわよ」

「そうか。それなら心置きなく練習できるな」

 覇斗は口元から白い歯を覗かせて笑った。


続く

関連記事

コメント 0

There are no comments yet.
Menu:05 Anthony's CAFE 文化部