或る寓話 (ショート・ストーリー)
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今となっては恥ずかしい出来ではあるものの、記念碑的なものなので、敢えて修正はしませんでした。
内容は確か田沢湖の辰子姫の伝説から題材を取ったもののはずです。
いきなり「宗教」なる言葉が出てきますが、別に、当時の僕が宗教にはまっていたというわけではありません。
ただ単に、未知なるもの・不可解なものに自分なりの考察を加えてみたかっただけです。
要するに「 伸び」 ですね。
思慮が浅い部分は年齢に免じてどうかご容赦を。
「或る寓話」
龍は問うた。
「人は人は何故に宗教を信ずるのです。そもそも宗教とは何なのですか?」
人の師たる者は答えた。
「不死たる汝にいくら説明したところで、所詮判ろうはずのないこと。どうしても知りたくば、人となって人として生きてみるがよい」
「なるほど。相わかりました」
龍は自ら赤子に化身し、そして完全に人間として生きる為に、龍である本来の自分の記憶を消した。
もはや、どこにでもいる只の女の赤ん坊に過ぎなかった。人の師たる者は、ある信心深い、子のない夫婦にこれを預けた・・・
投稿者:クロノイチ
「決して、その子に鏡を見せてはならぬ」
「それはどういうことですか?」
夫婦は訝しげに尋ねた。
「その子に、姿を映す物を見せてはならぬと言っておるのだ。──よいな」
そう、言い残して人の師たる者は去って行った。
夫婦は赤ん坊を実の子のように可愛がって育てた。時は流れ、赤ん坊は美しい娘へと成長していた。その美貌がいつしか村中の評判となるほどだった。しかし、娘は生まれて一度も自分の顔を見たことがなかった。娘を育てた夫婦が、家から鏡を取り払い、さらに、娘に水面や輝く物を見てはいけないと固く言い聞かせていたためである。だから、娘は自分が何故これほど注目されるのか判らなかった。判らないまま、何とかそれに応えようと心を砕いた。その結果、自分の美しさを鼻にかけない、誰に対しても優しい思いやりのある娘として、同性にまで好感を持って受け入れられるようになったのである。
ある日、娘は友達と一緒に森へ出掛けた。が、歩いているうちにいつの間にかはぐれてしまった。友達の姿を求めて森の中を歩きまわった娘は、すっかり疲れ果てて、動けなくなった。もう、自分がどこにいるのかさえも判らない。
「どうしよう」
娘は途方に暮れて、泣き出した。
どこからか、水の音がする。急に喉の渇きを覚えた。水が飲みたい──痛切にそう感じた。娘は重い脚を引きずって水音のする方へ向かった。やがて小さな川が、娘の視界に飛び込んできた。澄んだ水の輝きが眩しかった。娘は疲れも忘れて川岸へ駆け寄った。すぐさま、手鞠で水を掬おうとする。
その手の動きが突然、硬直した。一瞬後、ためらいがちにこう言った。
「どなた……ですか」
娘は水を飲むのに気を取られ、両親の戒めを忘れた。そして、うっかり水面を見てしまった。その時、川の中から見知らぬ女が、彼女を覗き込んでいるのに気付いたのである。それが自分の姿だと思い当たるまでしばらく時間がかかった。
水面に映った娘の顔は、彼女が今までに見たどの女の顔よりも遥かに美しかった。
「きれい……」
うっとりとして、そう呟いた。
夕暮れが近い。遠くで娘の名を呼ぶ声がする。その声は次第に近づいてきた。養父母の声である。
(心配して、捜しに来てくれたんだ)
娘は喜び、声を張り上げた。
「私はここよ。ここにいるわ」
間もなく、娘の目に愛する父母の姿が映った。娘は駆け出した。二人のもとへ飛び込もうとした。だが……。
突如として娘は立ち止まり、恐怖に引きつった顔で、夫婦から目をそむけた。彼らの顔がひどく醜いものに思われたからである。顔の皺も、皮膚のたるみも、歯の抜けた口も、白い頭髪も、何もかもが、許せないほどに醜かった。
その日以来、娘は変わった。自室に閉じ籠もったきり、どこへも出なくなった。歳とった人々に出会うことが、自分にもいずれ訪れる老いというものの姿を否応なしに思い起こさせてしまう──それを極端に恐れたからだ。自らの美しさを自覚した娘は、日夜、その美を保つことだけを考え続けた。──自分だけは美しいままでいたい。老醜は晒したくない。
[だが、人はいつかは老い、いつかは滅びねばならぬのだ]
娘の思いを打ち消すかのように、どこかで聞いた覚えがある声が唐突に響いてきた。それは娘に絶望をもたらす言葉だった。
「そんなのは、嫌だ。」
否定の言葉は叫びにならず、かぼそく、力のない声になった。
[間もなく時が来る。全てを理解する時が。案ずることは何もないのだ]
「あなたは、誰ですか。姿を見せてください」
答えはなかった。娘の懊悩はますます激しくなった。焦り、苛立ち、恐れなどの感情を露に見せ始めた。夫婦は娘が何を悩んでいるのか判らず、おろおろするばかりだった。
しかし、遂に思い立って、抵抗する娘を人の師たる者の所へ連れて行った。
「実は娘が……」
「判っている」
人の師たる者は言った。
「この娘は自分の顔を見たのだ」
「何ですって。まさか……」
「見たのだ」
「本当か、お前」
娘は黙って頷いた。夫婦は困惑した。
「尊者、あなたが私達にこの娘を預けられた時、『決して、鏡を見せてはならぬ』とおっしゃられましたが、全てこのことを見越しておられたのですか」
「そうである」
「では、この娘はいったい何者なのです?」
娘の顔が緊張で青ざめた。
「それを言えば、お前達は娘と永遠に別れねばならぬのだぞ」
「ええっ。それは」
「嫌なのであろう。ならば、引き取ってもらえぬか。少しばかり二人きりで話したいことがあるのだ」
「そ、それは、尊者がそうおっしゃるなら……」
夫婦は未練がましく娘の方を何度も振り返りながら去って行った。
「あの二人にもう少し、人の親としての喜びを味わわせてやりたかったのだが」
人の師たる者はそう呟いた。その姿を娘はじっと見つめていた。
「あなただったのですね」
娘が言った。
「そうだ。あの時、お前に語りかけたのは私だ。そして、赤ん坊のお前をあの夫婦に預けたのも私だ」
「えっ」
娘は、信じられないといった表情を見せた。
「そう怪訝な顔をするものではない。いずれ思い出すことだ。それよりも私はお前を救わねばならぬ」
「私を救うことは誰にもできません。誰にも私の願いをかなえることができないのですから」
「そうかな」
人の師たる者が微かに笑ったように、娘には見えた。
「私には不可能はない。どんな願いも思いのままだ。──と、したらどうだ」
「信じられません」
「信じるのだ。信じねば救いは金輪際訪れぬ。私を信じよ」
娘は、この人なら自分を救えるかもしれないと思った。意を決して言った。
「尊者、私を救ってください。私に、永遠の若さを、不老不死を与えてください」
人の師たる者は、今度ははっきりと微笑んだ。
「龍よ。今のお前の心こそが宗教を信じる心なのだ。さあ、元の姿に還るがよい。」
龍、と呼ばれて、娘の意識の下から目覚めたものがあった。──そうだ、私は……。
「はい」
そう答えた途端、娘の身体が少しずつ震え始めた。
龍が言った。
「まるで、夢を見ていたようです。とても辛い夢でした」
「夢ではない。それが人の──あらゆる生き物の現実だ。お前が娘として成長する間に、私も随分歳をとった。皮膚から艶がなくなり、皺が増えた。これは世の定めである。誰もが老い、誰もが死ぬ。人はその現実から目をそらそうとし、それができなくなると次は、救いを求め始める。そんな人々の恐れを取り除き、救いを与えるものを宗教と呼ぶのだ。そのことはお前ももう判ったはずだ」
「はい。実感させて頂きました。不死たる者の意識で、迫り来る老いを見た時、私はとてつもない恐怖を感じ、あなたに救いを求めました。その心が、信仰心というものだったのですね。」
「ただ、これも覚えておくがいい。現実を絶望的なものと見て、そこから逃れようとする手助けを与えるのが、宗教による救いの本質なのではない。現実を見極め、その現実を超えようという生への意志を持つことができた時、初めて、本当にその人間は救われたということになるのだ。つまり、死やその他の目に見えぬ囚われから離れて、この現実を勇気を持って生きるための道標としての役が、宗教本来のあり方なのである。宗教が主なのではない。人間が主なのだ。お前が知ったという宗教は、やがて、そこへ至るための初歩的な方便に過ぎない」
「方便を通じて、まず、易き道より入り、その後、より高き道へと進めとおっしゃるのですね」
「お前は龍であるから、私はお前にそこまでは望まぬ。現実に満足している者は、現実を克服しようとは思わぬものだからだ。私は、お前の発した問いを、お前の理解できる範囲で説明しただけだ。──龍よ、これからどうする?」
人の師たる者が尋ねた。
「もう一度、娘に戻って、親孝行したいと思います。あの夫婦には随分御世話になりましたから。いつかまた、お話を聞かせてください」
龍は再び娘に化身すると、村の方へ歩いて行った。
完


