石と賢治のミュージアム (岩手県 一関市)
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「石っこ賢さん」 をキーワードに、科学者 宮沢賢治が見ていた自然の不思議を分かりやすく見学できます。
旧 東北砕石工場と同じ敷地内にあります。
→ 「旧 東北砕石工場 (岩手県 一関市)」(Anthony's CAFE 2012/05/15) を参照のこと。
『「みんなのほんとうの幸せ」を求め、理想郷創造にまい進した技師時代の賢治と工場主 鈴木東蔵の心と生き方に触れ、これを次世代の子どもたちへと永く語り継いでいきたい。そんな思いから生まれたミュージアムです。』
(以上、石と賢治のミュージアム パンフレット より)

石と賢治のミュージアム 鉱物展示室
このミュージアムは、「太陽と風の家」 とも呼ばれています。
ここには、羽根が太陽光パネルでできている小さな風力発電用の風車があるのです。
もちろん、太陽光発電もできます。すごいですね!
宗教学者であり評論家でもある 山折哲雄さん (母親の実家が岩手の花巻市で、なんと賢治の実家の近くだそうです) は、こう言ってます。
「賢治という人間は風と共に誕生し、光のような風の波に乗ってこの世を去っていった。賢治の詩も童話も、その本来のあり方においては風が吹いて話がはじまり、風か吹いて終息に向かう・・・・」
と。 なるほど、言いえて妙です。
風の又三郎は、賢治自身だったのかもしれませんね。(笑)
鉱物展示室では、すごく癒されました。(笑)
賢治の詩や童話には、水晶、雲母、蛋白石、紅宝玉、瑠璃、石英、安山岩、蛇紋岩等々、多くの鉱物や岩石の名前が登場します。。。
賢治の詩集 『春と修羅』(第一集) が出版された時、「宮沢賢治は地質学、鉱物学、気象学、植物学で詩を書いた!」 と驚かれたのでした。

「雨ニモマケズ」 への道
JR大船渡線 陸中松川駅から東北砕石工場までには、一本の道があります。
技師時代の賢治が歩いた道として 「デクノボーの道」、「雨ニモマケズへの道」 と呼ばれています。
賢治のようなアバンギャルドでハイセンスな理想主義者、宇宙的ロマティストには、多くの挫折が待っています。
理想には挫折が付きものです。
しかし、賢治には、辛い絶望的な現実にさらされていない詩と童話の世界があったのです。
賢治の書いた詩と童話は、次世代へのメッセージとも言えるでしょう。

「雨ニママケズ手帳」
有名な 「雨ニママケズ手帳」 。
もちろん、レプリカであります。(笑)
本物は花巻の宮沢賢治記念館の収蔵庫に厳重に保管されています。
なんと、宮沢賢治記念館に展示されているのもレプリカなのです。(爆)
賢治は、病気でボロボロの体なのに、大量の石灰肥料のサンプルを抱えて、無理をして東京まで営業に出かけ、そのまま倒れてしまったのです。
なんという気力、精神力でしょうか。
その後、花巻に戻り病床生活を送ったのでした。
もっと工場のため、農民のために働きたかったのでしょう。
もっと丈夫な体だったら!と何度も思ったことでしょう。
そんなとき、ふと出てきてのがこの詩だったのかもしれません。
賢治のつぶやきと言っても、いいですね。
→ 石と賢治のミュージアム (一関市 HP)
投稿者: 霧島
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旧 東北砕石工場と同じ敷地内にあります。
→ 「旧 東北砕石工場 (岩手県 一関市)」(Anthony's CAFE 2012/05/15) を参照のこと。
『「みんなのほんとうの幸せ」を求め、理想郷創造にまい進した技師時代の賢治と工場主 鈴木東蔵の心と生き方に触れ、これを次世代の子どもたちへと永く語り継いでいきたい。そんな思いから生まれたミュージアムです。』
(以上、石と賢治のミュージアム パンフレット より)

石と賢治のミュージアム 鉱物展示室
このミュージアムは、「太陽と風の家」 とも呼ばれています。
ここには、羽根が太陽光パネルでできている小さな風力発電用の風車があるのです。
もちろん、太陽光発電もできます。すごいですね!
宗教学者であり評論家でもある 山折哲雄さん (母親の実家が岩手の花巻市で、なんと賢治の実家の近くだそうです) は、こう言ってます。
「賢治という人間は風と共に誕生し、光のような風の波に乗ってこの世を去っていった。賢治の詩も童話も、その本来のあり方においては風が吹いて話がはじまり、風か吹いて終息に向かう・・・・」
と。 なるほど、言いえて妙です。
風の又三郎は、賢治自身だったのかもしれませんね。(笑)
鉱物展示室では、すごく癒されました。(笑)
賢治の詩や童話には、水晶、雲母、蛋白石、紅宝玉、瑠璃、石英、安山岩、蛇紋岩等々、多くの鉱物や岩石の名前が登場します。。。
賢治の詩集 『春と修羅』(第一集) が出版された時、「宮沢賢治は地質学、鉱物学、気象学、植物学で詩を書いた!」 と驚かれたのでした。

「雨ニモマケズ」 への道
JR大船渡線 陸中松川駅から東北砕石工場までには、一本の道があります。
技師時代の賢治が歩いた道として 「デクノボーの道」、「雨ニモマケズへの道」 と呼ばれています。
賢治のようなアバンギャルドでハイセンスな理想主義者、宇宙的ロマティストには、多くの挫折が待っています。
理想には挫折が付きものです。
しかし、賢治には、辛い絶望的な現実にさらされていない詩と童話の世界があったのです。
賢治の書いた詩と童話は、次世代へのメッセージとも言えるでしょう。

「雨ニママケズ手帳」
有名な 「雨ニママケズ手帳」 。
もちろん、レプリカであります。(笑)
本物は花巻の宮沢賢治記念館の収蔵庫に厳重に保管されています。
なんと、宮沢賢治記念館に展示されているのもレプリカなのです。(爆)
賢治は、病気でボロボロの体なのに、大量の石灰肥料のサンプルを抱えて、無理をして東京まで営業に出かけ、そのまま倒れてしまったのです。
なんという気力、精神力でしょうか。
その後、花巻に戻り病床生活を送ったのでした。
もっと工場のため、農民のために働きたかったのでしょう。
もっと丈夫な体だったら!と何度も思ったことでしょう。
そんなとき、ふと出てきてのがこの詩だったのかもしれません。
賢治のつぶやきと言っても、いいですね。
→ 石と賢治のミュージアム (一関市 HP)
投稿者: 霧島
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