『なめとこ山の熊』
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賢治の数ある童話のなかで 『なめとこ山の熊』 は、『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』『風の又三郎』『セロ弾きのゴーシュ』 などとともに、かなり読まれている作品である。
また、賢治賢治は、スポーツとしてハンティングを行う猟師たちを嫌悪していた。賢治がここで描いたのは、『注文の多い料理店』 に登場するような都会からやってきて、快楽を得るためにレジャーやスポーツ感覚でハンティングを行う猟師ではないのです。
『なめとこ山の熊』 の主人公 マタギの淵沢小十郎は、自分や家族が生きるためにハンティングを行う猟師なのです。
しかしながら小十郎は、猟師という自分の仕事を悪い行い、罪深い行いと常に思っていたのである。
小十郎は熊を殺した後、念仏のようにこうつぶやくのである。
「熊。おれはてまへを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめへも射たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめへも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ」 と。
因果応報、「善行が幸福をもたらし、悪行が不幸をもたらす」という考え方、思想である。
小十郎は「罪深い行為をしている自分は良い死に方はしないだろう」と常々思っていたのであろう。。。。
なんと、物語の最後に小十郎は熊に殺されてしまうのである

この 『なめとこ山の熊』 を読むと感じることですが、明らかに賢治は、マタギと接触していたと思われます。
賢治は、地質調査や鉱物・岩石・化石採集のため北上山地や奥羽山系、三陸海岸などを野宿しながら歩きまわりましたが、そのとき、花巻市西部の旧沢内村あたりでマタギと接触し、その生活やハンティングの様子を見ていたのでしょう。
なんと、賢治は、マタギが獲った熊を解体するシーンも見ていたのである!(笑)
「。。。それから小十郎はふところからとぎすまされた小刀を出して熊の顎あごのとこから胸から腹へかけて皮をすうっと裂いていくのだった。それからあとの景色は僕は大きらいだ。けれどもとにかくおしまい小十郎がまっ赤な熊の胆いをせなかの木のひつに入れて血で毛がぼとぼと房になった毛皮を谷であらってくるくるまるめせなかにしょって自分もぐんなりした風で谷を下って行くことだけはたしかなのだ。」
(『なめとこ山の熊』 より)
岩手県花巻市の西部、秋田県と接する旧沢内村(現西和賀町)には、マタギの集落が点在していたのです。
旧沢内村にある。碧祥寺(へきしょうじ)博物館には、マタギ関連の資料が多く展示されています。
哲学者であり、歴史家でもある 梅原猛 氏は、「この童話のラストシーンは、実に透明で清潔で神聖な文章で書かれている。。。。このシーンは、熊が自ら殺した小十郎の霊を神に送る儀式、イヨマンテ である」と言っている。
なるほど!熊による逆イヨマンテか!(笑) まさに言い得て妙である。
「。。。。雪は青白く明るく水は燐光りんこうをあげた。すばるや参しんの星(オリオン座の三ツ星)が緑や橙だいだいにちらちらして呼吸をするように見えた。 その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環わになって集って各々黒い影を置き回々フイフイ教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸しがいが半分座ったようになって置かれていた。 思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのように冴さえ冴ざえして何か笑っているようにさえ見えたのだ。ほんとうにそれらの大きな黒いものは参の星が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したようにうごかなかった。」
(『なめとこ山の熊』 より)
これは、賢治の思想が凝縮している童話だと思う。
→ 『なめとこ山の熊』全文(青空文庫) - 著作権が消滅しているので、Web上で無料で読めます -
→ 打当温泉 マタギの湯/マタギ資料館 HP
→ 碧祥寺 博物館 HP
投稿者: 霧島
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