伊達六十二万石の宿 湯元 不忘閣 1 (宮城県 川崎町 青根温泉)
- CATEGORYMenu:12 文学と芸術 を 巡る 感性の旅
- COMMENT8
- TRACKBACK0
明治に入り、多くの文人達に愛された温泉でもあります。芥川龍之介、与謝野鉄幹・晶子夫婦、川端康成、高浜虚子、山本周五郎など多くの文人たちが滞在しています。
「日本秘湯を守る会」 会員の温泉でもあります。

湯元 不忘閣 門前
「夕立の虹見下ろして欄に倚る」
左側にある句碑は、高浜虚子がここを訪れた際に詠んだもの。
「佐藤仁右衛門」 看板が目を引きます。
ここの湯守は、代々 佐藤仁右衛門」 襲名していて、現在は、なんと21代目である。
初代 佐藤仁右衛門は、伊達政宗から 「代々この温泉の湯を守ってくれ」 と言われたそうです。
真偽のほどは不明ですが。。。。

部屋から見える風景
左側にあるのが、築100年を越える旧館。
芥川龍之介が与謝野晶子や菊池寛の勧めで最初に避暑に訪れた温泉がここでした。。。
「8月1日、宮城県青根温泉に避暑。滞在先は不忘閣。28日頃まで滞在。この地で執筆するが体調を崩しペンは進まず、「中央公論」9月分を延期する。」
(「芥川龍之介 年譜」 より)
芥川にとって、この地での避暑は最悪だったようです。
山間僻地ゆえの食物の悪さによる便秘に悩まされ、さらに田舎者の湯治客の多さに辟易し、スランプに陥り、ほとんど筆が進まなかったとか。
そのためか、ここでのことは、ほとんど触れられていません。ただ、『雑筆』 いう、思いついたことなどを書き綴ったものには少し触れられています。
隣室
「姉さん。これ何?」 「ゼンマイ。」 「ゼンマイ珈琲つてこれから拵へるんでせう。」 「お前さん莫迦ね。ちつと黙つていらつしやいよ。そんな事を云つちや、私がきまり悪くなるぢやないの。あれは玄米珈琲よ。」
姉は十四五歳。妹は十二歳の由。この姉妹二人ともスケツチ・ブツクを持つて写生に行く。雨降りの日は互に相手の顔を写生するなり。父親は品のある五十恰好の人。この人も画の嗜みありげに見ゆ。
("八月二十二日青根温泉にて" 『雑筆』より)

青根御殿
敷地内の山の斜面のそびえ建つ木造3階の華麗な建物である。
火事で消失したが、昭和初期に往時まままの姿で再建され、内部は伊達家関連の文物や訪れた文人達の展示室になっている。
もちろん鍵がかっているので勝手に入ることはできないが、毎朝、宿泊客を対象にした見学ツアーがあるので、これに参加すれば詳しい説明も聞くことができる。
「碧るりの川の姿す いにしへの奥の太守の 青根の湯舟」
与謝野晶子が、ここで詠んだ句である。

旧館 内部
レトロだなーー!どこか懐かしい雰囲気を感じさせる。癒されるなー・・・(笑)
この建物の1階には、展示室兼休憩室があり、コーヒーやお菓子、味噌おでんの無料サービスもあります。
さらに、なんと嬉しいことに、地元の銘酒 「蔵王」 の一升瓶が冷やされており、無料で銘酒をいただくことができました。
現在、旧館の部屋は、個室の会食場(食堂)として利用されている。
→ 青根温泉 湯元 不忘閣 HP
→ 日本秘湯を守る会 HP
投稿者: 霧島
amazon 「『坊っちゃん』の時代」
- 関連記事
-
-
『なめとこ山の熊』 2011/10/12
-
伊達六十二万石の宿 湯元 不忘閣 2 (宮城県 川崎町 青根温泉) 2011/09/22
-
伊達六十二万石の宿 湯元 不忘閣 1 (宮城県 川崎町 青根温泉) 2011/09/20
-
おくのほそ道 東京 両国~深川 散策 2 2011/09/14
-
おくのほそ道 東京 両国~深川 散策 1 2011/09/12
-


