第六幕 神童

失われた父性を求めて 映画「神童」

 冒頭、ボートの中で寝ころんでる和音(松山ケンイチ)に声がかかる。
 うた(成海璃子)からだ。
 いたずらっ子に奪われた人形を捜してるから、ボートに乗せろという。
 しぶしぶ乗せたうたに言われるがまま和音がボートを漕ぐと、行く手に池に捨てられた人形が見つかる。
 人形を掬い上げようとしたうたは勢いあまって池の中に、・・・。

 直後、うたが、いたずらっ子にまたまた人形を奪われ、さんざん、かき回されるシーンはもう一度登場する。が、これは路上での出来事。池の中にうち捨てられた人形という、あまりにも唐突で奇妙な冒頭のシチュエーション。これが映画の重要なモチーフとなっている。

 「神童」という題にもかかわらず、映画は神童の神童たる才気ぶりをことさら描いてはいない。
 映画で語られているのは、父を亡くした女の子の父への憧憬。だから、ピアノの墓場に象徴される死のイメージがうたにはまとわりついている。

 たとえば、耳の病気。蝉が耳の中でなっている、というのは、どうやら、メニエール病らしい。音楽家にとっての耳の病は、だから、演奏後、うたを倒れさせもする。
 まるで、あの実在のピアニストの病を題材とした映画「シャイン」のクライマックスのように。
 「シャイン」が油絵のようにごてごてしつこく天才ピアニストのありようを追った映画なら、「神童」の秀逸さは、うたが演奏会場で倒れた直後のシーンにある。
 
いつしか、うたは、うたが和音に出会った池に来ていて、なにかさぐるように水中に手をさしのべて水をすくう。ここを、水中から、仰ぐように、うたを狙ったショットは、水彩画のように透明で美しい。

 いたずらっ子から、うたが必死で奪い返そうとする人形。音大の受験場で、自信のなさから、試験会場を飛び出してきた和音に、勇気をあたえるかのように渡され、失笑を買いもした、和音の試験会場のピアノに置かれた人形。
 突然の代演を、うたがいいつかった時、心配そうな和音からうたに渡され、コンサートの会場のピアノに置かれた人形。
 
 和音やうたに、パワーと安らぎを与える人形は、父の隠れた存在ともなっていて、うたが奪われ、人形の捨てられた池の水中には、だから、父が潜んでいてのことだろうか。うたはそれを確かめるかのように水をすくう。
 
 耳が不調となったうたは探しものをするかのように家を飛び出す。誰もがその行方を案じた時、和音だけはうたの向かうその場所に気づく。

 「リンダ・リンダ・リンダ」でさりげなくサポートする教師役を演じた甲本雅裕が、またぞろあの言外に意味を含ませた思わせぶりな名調子を。
 「上海バイキング」が懐かしい串田和美、吉田日出子コンビが和音とうたのサポート役を。しっかと何事も動じない和音の父親役を柄本明の名脇役で固めて、「神童」成海璃子の茶目っ気を存分に大画面に撃ちはなった映画「神童」は一見の価値ありです。


投稿者: 今井 政幸


「神童」公式サイト


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