おくのほそ道 壷の碑 - 多賀城碑 (宮城県 多賀城市 多賀城寺跡)

「むつのくの おゆかしくそおもほゆる つほのいしふみ そとのはまかぜ」 西行法師


 多賀城。。。律令国家大和政権とエミシの対立の最前線基地から出発し、東北地方を統括する官庁(遠の朝廷)として栄華をきわめました。

 奈良平安の昔、都から国府多賀城に赴任して来た万葉歌人が、周辺の景観を歌に読み込んだことから、多賀城周辺には多くの 「歌枕」 が残っています。

 ちなみに、ここには、万葉歌人の大伴家持や征夷大将軍坂上田村麻呂、平安歌人の藤原実方が赴任してきたほか、歌人旅行家の西行、旅行家の菅江真澄等も訪れています。我らが芭蕉と曾良は1689年6月に、ここを訪れました。





壷碑を収めた 覆堂

壷碑を収めた 覆堂


 「壷碑(多賀城碑) 市川村多賀城にあり。つぼの石ぶみは高六尺余、横三尺斗か。文字幽か也。四維国数里をしるす。」

 多賀城碑は、塩竈街道沿いにあり、瓦屋根の覆堂の中に収められています。

 高さは190センチほどで、けっこうどっしりしていて巨大!存在感がありますね。






壷碑 碑面

壷碑 碑面


「多賀城、京を去ること一千五百里 蝦夷国界を去ること一百二十里」

 日本三古碑(群馬の多胡碑、栃木の那須国造碑)の1つである。

 芭蕉は、吸い寄せられるように、この碑に近づき 「千載の記念が残っていて、古人の心がありありと見える」と感激し「命ながらえて苦しい東北の旅出た甲斐があった!」 と 涙を流して喜ぶのであった。。。。。。。。







投稿者: 霧島

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2 Comments

あぽろ・れい

実方は・・・

藤原朝臣実方は「源氏物語」の光源氏のモデルの一人として清少納言を含む20人以上の女性と浮名を流したプレイボーイでしたが、当時の意思上天皇の御前で、自らの歌を批判した藤原行成の冠を投げつけるという事件をおこしたため、天皇の怒りを買い陸奥守を命じられこちらに来たのですね。ただ、彼は現在の名取にある佐倍乃神社(さえのじんじゃ)にて、その前を通りすぎようとした時、土地の人が祈願を薦めましたが、実方は、「それは下品な神である。下馬するには及ばない」と通り過ぎようとしました。
すると、突然馬が暴れて実方は落馬し、手当ての甲斐なくその怪我が元で長徳四年、ここ名取の地で命を落としたのです。
そんな彼を偲んで、西行法師、松尾芭蕉は彼の墓を訪れています。(芭蕉は天侯の悪化により訪れることはかないませんでしたが・・・。)

  • 2011/02/25 (Fri) 18:15
  • EDIT
霧島

芭蕉は、

旅と文学修業の師として西行法師を尊敬し慕っていた・・・・・

芭蕉が東北に旅立ったのは、西行法師の500年忌にあたり、
西行と同じように東北を旅しいてる。

義経を慕う芭蕉の東北行は、西行を追慕の旅でもあった
のだ、という説もあるな!(爆)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E8%A1%8C

  • 2011/02/26 (Sat) 08:06
  • EDIT