第七幕 パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド
ゆれる分裂の狭間に「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」
なんとも珍妙なシーンがこの映画に現れる。
「デッドマンズ・チェスト」の最後、怪物フラーケンに食べられ、死んではいない、ジャック・スパロウが送られた「デイヴィ・ジョーンズ・ロッカー」での船上のシーン。
船上には、幾人ものジャック・スパロウ現れ、スパロウで満ちあふれ、最後には諍いも。
この幾人ものジャック・スパロウがあらわれるのは、「デイヴィ・ジョーンズ・ロッカー」を脱しても、再度登場するから、これはもう、「デイヴィ・ジョーンズ・ロッカー」特有の現象ではなく、ジャック・スパロウだけの現象とみるべきなのだろう。
短時間の「デイヴィ・ジョーンズ・ロッカー」滞在とはいえ、ジャック・スパロウ救出に向かった多くの人たちの誰にも、そんな現象はあらわれないから。
本人の他に幾人もあらわれるスパロウ。彼らはそれぞれに、めいめい、今後どうすべきか、異なる意見を述べあう。わたしたちが、あれこれ迷いに迷って答えを見いだせないときの有様のように。
だから、たとえば、この視覚的にはちゃんと現れてる幾人ものスパロウたちを、スパロウの心の中で、迷い、ためらい、考えあぐね、答えを出せずにいるスパロウのゆれる心の状態がなせることだと解釈してみることにしよう。
すると、「ワールド・エンド」でのスパロウは、第一作の「呪われた海賊たち」での、キャプテン・バルボッサに裏切られたがために、渡された一挺の銃と一発の弾丸を、最後の最後、ここぞという決定的場面で使う程に用意周到、緻密で冷静な頭脳でいた、あの時のスパロウではない。
他人に裏切られたことはあっても自分からは裏切らない。これが一作目が示したスパロウ像であった。
結果、2作目で、エリザベス・スワンに、裏切りとまではいかずとも、だまされるようにみなを救うがために犠牲者とされてしまう。
やや人間不信に陥った(とわたしはいいたいのだが)スパロウのゆれる心が物語の基調をなしている。
会社の利益を優先するがために海賊たちの撲滅一掃をはかる東インド会社のベケット卿。
死刑の場で歌われた海賊たちの決起の時を告げる招集の歌。
が、救助され帰還したスパロウ以下、招集をうけ集合した世界を代表する9人の海賊長たちはベケット卿の強大な軍事力の前にたじろぐ。
それぞれめいめい自分に有利な道をさぐりベケット卿と通じる者も。誰がどんな思いでどう行動するのやら。
疑心暗鬼と迷いがそれぞれの胸のうちにかけめぐり、やがて、ウィル・ターナーとの交換で囚われの身となったスパロウは牢の中で分裂する。
ベケット卿との対決姿勢を一貫して主張するエリザベス・スワンの勇ましいあり方は、女神の助力も得て、海賊側の有利にことは進みはする。
が、一方で最大の犠牲も。
この映画の映画たる部分は、その窮地を救ったのが逡巡するスパロウだったことにある。
悩みためらい優柔不断なことは決して恥ずべきことではない。むしろ人は誰しもそれが当然な有様なのだ。
迷いに迷ったあげくの結論は、ひょっとして、一番、最上の決断なのかもかも。
そんな、「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」に乾杯!
投稿者: 今井 政幸
→ 「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」公式サイト
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なんとも珍妙なシーンがこの映画に現れる。
「デッドマンズ・チェスト」の最後、怪物フラーケンに食べられ、死んではいない、ジャック・スパロウが送られた「デイヴィ・ジョーンズ・ロッカー」での船上のシーン。
船上には、幾人ものジャック・スパロウ現れ、スパロウで満ちあふれ、最後には諍いも。
この幾人ものジャック・スパロウがあらわれるのは、「デイヴィ・ジョーンズ・ロッカー」を脱しても、再度登場するから、これはもう、「デイヴィ・ジョーンズ・ロッカー」特有の現象ではなく、ジャック・スパロウだけの現象とみるべきなのだろう。
短時間の「デイヴィ・ジョーンズ・ロッカー」滞在とはいえ、ジャック・スパロウ救出に向かった多くの人たちの誰にも、そんな現象はあらわれないから。
本人の他に幾人もあらわれるスパロウ。彼らはそれぞれに、めいめい、今後どうすべきか、異なる意見を述べあう。わたしたちが、あれこれ迷いに迷って答えを見いだせないときの有様のように。
だから、たとえば、この視覚的にはちゃんと現れてる幾人ものスパロウたちを、スパロウの心の中で、迷い、ためらい、考えあぐね、答えを出せずにいるスパロウのゆれる心の状態がなせることだと解釈してみることにしよう。
すると、「ワールド・エンド」でのスパロウは、第一作の「呪われた海賊たち」での、キャプテン・バルボッサに裏切られたがために、渡された一挺の銃と一発の弾丸を、最後の最後、ここぞという決定的場面で使う程に用意周到、緻密で冷静な頭脳でいた、あの時のスパロウではない。
他人に裏切られたことはあっても自分からは裏切らない。これが一作目が示したスパロウ像であった。
結果、2作目で、エリザベス・スワンに、裏切りとまではいかずとも、だまされるようにみなを救うがために犠牲者とされてしまう。
やや人間不信に陥った(とわたしはいいたいのだが)スパロウのゆれる心が物語の基調をなしている。
会社の利益を優先するがために海賊たちの撲滅一掃をはかる東インド会社のベケット卿。
死刑の場で歌われた海賊たちの決起の時を告げる招集の歌。
が、救助され帰還したスパロウ以下、招集をうけ集合した世界を代表する9人の海賊長たちはベケット卿の強大な軍事力の前にたじろぐ。
それぞれめいめい自分に有利な道をさぐりベケット卿と通じる者も。誰がどんな思いでどう行動するのやら。
疑心暗鬼と迷いがそれぞれの胸のうちにかけめぐり、やがて、ウィル・ターナーとの交換で囚われの身となったスパロウは牢の中で分裂する。
ベケット卿との対決姿勢を一貫して主張するエリザベス・スワンの勇ましいあり方は、女神の助力も得て、海賊側の有利にことは進みはする。
が、一方で最大の犠牲も。
この映画の映画たる部分は、その窮地を救ったのが逡巡するスパロウだったことにある。
悩みためらい優柔不断なことは決して恥ずべきことではない。むしろ人は誰しもそれが当然な有様なのだ。
迷いに迷ったあげくの結論は、ひょっとして、一番、最上の決断なのかもかも。
そんな、「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」に乾杯!
投稿者: 今井 政幸
→ 「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」公式サイト
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