その81 敗戦

先日、休みを利用して久しぶりに私の大好きな叔母に会って来た。
叔母は、さる片田舎で完全無農薬の有機栽培の農家を、伯父と共に夫婦二人で営んでいる。
そんな新鮮野菜を作り、食べているせいか二人とも元気一杯であった。
これも自然の気と共に暮らす恩恵であろうか、土と水と太陽を扱う仕事であるので、身体にエネルギーがみなぎっているのが目に見えるようだ。
と、それにしても気になるのが農家の後継者不足である。以前にも書いたと思うが地方を旅していて痛感するのが、トラクターに乗っている人々が本当に高齢者ばかりなのである。
これはかなり深刻な事態ではなかろうか?
そもそも国内の食料自給率は、わずか40%(穀類に限定すれば27%程度)であり、多くを国外から「お金」で食料を買い漁っている状態なのだが、誤解を恐れずあえて言うが戦(いくさ)における一番の作戦は兵糧攻めである。
もしも、現在の状態で戦争が始まったら、我が国日本は戦わずして飢えて死ぬだろう。
そうならない為に、政治家の皆さまには食料自給率を高める為の努力をしていただきたい。
大体が、戦後の大規模公共事業を現場で支えてこられたのは、元々の農家の方々である。
そして現在も大規模公共事業は続いている。何故続くのか?
政治家のその多くは理由を「雇用」だとのたまう。そんな理由は失笑ものだ。
だったら、雇用先として農業に帰っていただいたら良い。それだけの話だ。
「土地が無い」? 嘘をつけ。大規模公共事業や青田刈りや休耕田を廃止し、屋上緑化を進めれば土地なんか掃いて捨てる程見つかるだろう。
人口比率もあるが、明治時代なんか「酒と米を付けるから、土地を貰ってくれ。」と地主が叫んでいた税制の時代だ。
明治時代に出来て、現代に出来ない訳がなかろう。それとも現代の政治家は自らを明治時代から退化していると認めるつもりなのか、機会があれば一度は各地の代議士に聞いてみたいものだ。
コンクリート漬けの仕事も仕事なら、土を耕し食べ物を作るのも又、仕事だ。
ダム建設が公共事業で、畑栽培が公共事業として存在しないのは何故か。
後付けの理由は公務員はお手の物であろうが、事の本質を考えてみると、理由はやはりアメリカか?
投稿者: Nao
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