智恵子 記念館 (福島県 二本松市)

「智恵子 記念館」には智恵子の愛用品や手紙、絵、療養中に残した紙絵(切り絵)等が展示されている。

 
 記念館の隣には、智恵子の生家があり、修復され公開されている。

 日本女子大の家政学部に進学した 高村智恵子 は西洋画に熱中し、卒業しても故郷には戻らず画家を目指したのである。

 デザイナーでもあった智恵子は、女性解放運動にも関心を示し、大学の先輩である 平塚らいてう が創刊した女性のための文芸誌 『青鞜』 の表紙デザインを担当した。  





智恵子 結婚の頃

智恵子 結婚の頃


 「をんなが附属品をだんだん棄てると どうしてこんなにきれいになるのか。 年で洗はれたあなたのからだは  無辺際を飛ぶ天の金属。。。。。。時時内心おどろくほど あなたはだんだんきれいになる。」(高村光太郎著 『智恵子抄』- あなたはだんだんきれいになる より)


 智恵子の趣味は、なんとテニスだったという。

 大学時代も、先輩のらいてうたちとテニスに興じたらしい。

  智恵子、 らいてうともに、かなりテニスが上手かったそうだ。。。(笑)





温泉を巡る高村夫妻

光太郎(50才)と智恵子(47才)


 昭和8年、病む智恵子の療養をかね那須、安達太良、磐梯山周辺の温泉を巡っている。

 
 「二つに裂けて傾く磐梯山(ばんだいさん)の裏山は 険しく八月の頭上の空に目をみはり 裾野遠くなびいて波うち 芒(すすき)ぼうぼうと人をうづめる 半ば狂える妻は草をしいて坐し わたくしの手に重くもたれて 泣きやまぬ童女のように慟哭する――わたしもうぢき駄目になる。。。。。」 (『智恵子抄』 - 山麓の二人より)





智恵子の生家

智恵子の生家


 酒造家でかなりの資産家であった。

 智恵子は、何不自由ない伸び伸びとした少女時代を送ったらしい。

 酒好きだった光太郎は、智恵子の実家から銘酒 「花霞」 をとりよせ、アトリエで毎晩晩酌をやってたそうだ!!(爆)


 近くのお土産屋では銘酒 「花霞」 を買うことができる!(笑)



「智恵子の生家・智恵子記念館」 二本松市 HP





投稿者: 霧島





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3 Comments

山口ジジイ

 智恵子かああ
智恵子妙は、名前だけ知ってます

  • 2010/08/27 (Fri) 23:43
霧島

光太郎は、

軍国主義に賛同して戦争賛美の詩を
多く作り、いろいろと批判もされているが・・・

誰よりも宮沢賢治を評価してるし、
「知恵子抄」や晩年の詩は、すばらしいべ!!

「メトロポオル」・・・・晩年の光太郎が
賢治のふるさと花巻の山小屋で自炊生活を
していたころの詩だべ!!
------------------------------------------
智恵子が憧れてゐた深い自然の真只中に
運命の曲折はわたくしを叩きこんだ。
運命は生きた智恵子を都会に殺し、
都会の子であるわたくしをここに置く。
岩手の山は荒々しく美しくまじりけなく、
わたくしを囲んで仮借しない。
虚偽と遊惰とはここの土壌に生存できず、
わたくしは自然のやうに一刻を争ひ、
ただ全裸を投げて前進する。
智恵子は死んでよみがへり、
かくの如き山川草木にまみれてよろこぶ。
変幻きはまりない宇宙の現象、
転変かぎりない世代の起伏、
それをみんな智恵子がうけとめ、
それをわたしくが触知する。
わたくしの心は賑ひ、
山林孤棲と人のいふ
小さな生小屋の囲炉裏に居て
ここを地上のメトロポオルとひとり思ふ。

  • 2010/08/29 (Sun) 20:31
  • EDIT
霧島

若い頃の光太郎は

パリにも留学し、前衛芸術に憧れ、
詩人ではボードレール、ランボー、
ヴェルレーヌを崇拝しいてた。
帰国してからは、日本の古い体制に対して、
ボロボロになりながら果敢に過激に戦いを
挑んでいたのだ・・・・

こんな退廃的な光太郎を救ったのが
智恵子である。。。智恵子の純粋さが
光太郎を救ったのである。。。。

光太郎は、智恵子に頭が上がらないわけさ!(爆)

  • 2010/08/29 (Sun) 21:54
  • EDIT