Anthony's CAFE 

category: Menu:13 文学と芸術 を 巡る  感性の旅  1/3

遠野物語  10 (岩手県 遠野市)

 早池峰神社(妙泉寺)は、早池峰山、薬師岳登山口の近く、遠野市 上附馬牛大出(かみつきもうし おおいで)地区にあります。 昔は、早池峰山を囲むように多数存在したようですが、現在は、ここと花巻市大迫の二ヶ所に残るのみだそうです。 ちなみに、遠野の上附馬牛大出地区は、「にほんの里100選」 に選ばれています。早池峰神社遠野の三大霊場の一つ、早池峰神社。後の二つは、続石(つづきいし)と五百羅漢であります。  遠...

  •  2
  •  0

石と賢治のミュージアム (岩手県 一関市)

「石っこ賢さん」 をキーワードに、科学者 宮沢賢治が見ていた自然の不思議を分かりやすく見学できます。  旧 東北砕石工場と同じ敷地内にあります。 → 「旧 東北砕石工場 (岩手県 一関市)」(Anthony's CAFE 2012/05/15) を参照のこと。 『「みんなのほんとうの幸せ」を求め、理想郷創造にまい進した技師時代の賢治と工場主 鈴木東蔵の心と生き方に触れ、これを次世代の子どもたちへと永く語り継いでいきたい。そんな思いか...

  •  2
  •  0

旧 東北砕石工場 (岩手県 一関市)

岩手県南部の一関市東山町にあり、産業近代化遺産(国登録有形文化財)として登録されています。 現在は整備され 「石と賢治のミュージアム」 の一部になっていて見学することができます。  東北砕石工場は、石灰岩を粉砕して石灰肥料作るための工場でした。旧 東北砕石工場 正面入り口 石灰肥料は、農地を改良し、耕作面積を広げ、収穫を増やし、冷害に襲われる東北の農民を救うために必要なものでした。  晩年の宮沢賢治が...

  •  1
  •  0

『風の又三郎』 (岩手県 種山高原)

 「どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせ どっどど どどうど どどうど どどう」 の書き出しで始まる、宮沢賢治の有名な童話であります。 賢治の死後発表された作品で、『銀河鉄道の夜』 と同様に未完成だったようです。 「永久の未完成これ完成である」 ですね。      9月の初め、風が強くなる季節に転校してきた少年 高田三郎と山の分校の子どもたちとの交流...

  •  8
  •  0

種山ヶ原 (岩手県 種山高原)

 岩手県住田町、遠野市、奥州市にまたがる広大な高原、種山ヶ原の最高点、物見山(871メートル)に昨年の晩秋に登ってきました。 登ったと言っても、遊歩道を往復2時間くらい歩き回っただけですが。。。。(笑)  宮沢賢治の童話 『種山ヶ原』 『風の又三郎』 『銀河鉄道の夜』 の舞台としても知られ、賢治がこよなく愛した景観は、国の名勝 「イーハトーブの風景地」 に指定されている。「種山ヶ原といふのは北上山地のまん中...

  •  1
  •  0

愚直な雪 (岩手県 花巻市 - 青森県 十和田市)

十和田湖畔にある 『乙女の像』 (高村光太郎 作・ブロンズ)生前の宮沢賢治を高く評価し、尊敬し、世間に知らしめたのが、詩人・彫刻家の高村光太郎である。 高村光太郎 は、賢治との交友が縁で、昭和20年に岩手の花巻(賢治の実弟 宮沢清六宅 - 賢治の実家)に疎開したが空襲で被災し、終戦後、そのまま花巻の街から10数キロ離れた 「山小屋」(高村山荘)に住むことになったのである。 真冬には、氷点下20度にもなり、...

  •  2
  •  0

賢治 自耕の地 (岩手県 花巻市)

宮沢賢治の家の黒板に書かれた 「下ノ畑ニ居リマス 賢治」 の 「下ノ畑」 がこの場所です。 羅須地人協会 跡地 から500~600メートル離れた地点にあります。 北上川の河畔、直ぐ前を北上川が流れています。 当時、このあたり一帯は、砂地でヤブ地の荒地でした。なんと、賢治は、この荒地をたった一人で2400平方メートルも開墾したのです。 荒地の開墾という重労働、農耕自炊の生活、農閑期には羅須地人会の活動や農...

  •  2
  •  0

羅須地人協会 跡地・賢治詩碑 (岩手県 花巻市)

賢治ファンにとっての本当の聖地はここだと思う。けっこう広い場所だ。 高村光太郎の筆による 『雨ニモマケズ』 の詩碑がたっていた。  詩碑の下には、賢治の遺骨と法華経の経文、宮澤賢治全集、詩碑建立の由来を記した文書が納められているという。 まあ、「賢治のお墓」 と言ってもいい。 ちなみに、賢治のお墓は、「ぎんどろ公園」(旧花巻農学校跡地) 近くの身照寺 (宮沢家の菩提寺) にあります。『雨ニモマケズ』 の詩碑...

  •  5
  •  0

羅須地人協会・賢治の家 (岩手県 花巻市)

「羅須地人協会・賢治の家」 現在は、県立花巻農業高校の敷地内に移築されている。 花巻農学校を依願退職した賢治は、羅須地人協会 (らすちじんきょうかい) を設立して、ここで若い農民たちを集め、自ら書いた散文詩的な論文 『農民芸術概論綱要』 の実践を試みるのである。 でも、「金持ちお坊ちゃんの道楽だべ!すぐにダメになるべ!」 と、陰口を言う輩も多かったとか。。。羅須地人協会・賢治の家 学校の管理人さんから鍵...

  •  5
  •  0

い~はと~ぶアベニュー材木町 (岩手県 盛岡市)

 岩手県盛岡市駅前の開運橋を渡り北上川沿を遡るように向かと、江戸時代から明治にかけて水運業で栄えた町 「材木町」 があります。 ちょうど、旭橋と夕顔瀬橋に挟まれた通りである。 やさしい面持ちの宮沢賢治の像 い~はと~ぶアベニュー(材木町通り)は、宮沢賢治の通りでもある。 宮沢賢治 とその作品にちなんだ6つのがモニュメントが設置されており、これもそのうちの1つ。光原社 『注文の多い料理店』 の出版元とし...

  •  1
  •  0

『春と修羅』

菜食主義者で法華経の信者であった宮沢賢治は、自身の分身である「詩」を「心象スケッチ」と称した。 賢治は、多くの詩や童話書いたが、決して 「小説」 を書かなかった。 なぜか?? ある人によれば、小説を書けなくて、詩や童話を書いたのではないとのこと。 賢治にとって、山も川も動物も植物も石も鉱物も、人間と同じように永遠の生命を持っているものだったと。。。 それらの生命の真理を語るのに、人間世界のみ語る 「小...

  •  4
  •  0

啄木・賢治青春館 (岩手県 盛岡市)

 「孤光灯(アークライト)にめくるめき、川と銀行と木のみどり、羽虫群れのあつまりつ、街は静かにたそがるる。」( 宮沢賢治 『岩手公園』 より)  盛岡の清流中津川をはさんで岩手公園の向かい側にある紺屋町界隈は、明治から大正時代にかけては一大金融街であった。 盛岡で青春時代を過ごした 宮沢賢治 にとって、ここ金融街は、なぜか お気に入りの場所だったようです。旧 第九十銀行本 ロマネスク風の重厚な建物で、国...

  •  0
  •  0

旧 盛岡高等農林学校本館 (岩手県 盛岡市)

イーハトーヴのモリーオ市に行ってきました。(笑) 旧盛岡高等農林学校(現岩手大農学部・重要文化財)本館を見学してきました。 今は、綺麗に修復されて、教育資料館になっています。 宮沢賢治 関連の資料も豊富。 当時、高等農林学校は、帝国大農学科に次ぐエリート校でした。 盛岡中学(現盛岡一高)を卒業した賢治は、盛岡高等農林学校に主席で入学している。旧盛岡高等農林学校本館 青森ヒバ造りの明治後期を代表する...

  •  2
  •  0

「フェルメールからのラブレター展」 宮城県美術館 (仙台市 青葉区)

フェルメールは、もう二度と日本では見られないだろうと思い、行ってきました。 けっこう混雑していました。美術館前の広い駐車場は満車状態で、少し離れたところにある第二駐車場に行ってくれとの指示でした。 岩手、山形、福島など他県ナンバーの車も多くありました。土日祝祭日には、周辺道路は大渋滞になるかもです。やれやれ。今年で開館30年を迎える 宮城県美術館 「フェルメール展」 初日には、なんと50人が列をつく...

  •  4
  •  0

藤村広場   2 (仙台市 宮城野区)

 東京の明治女学校高等科で英語科教師をしていた藤村、島崎春樹。東北学院の招きもあり仙台へ赴き、同校で教鞭をとったのは明治29年。  教え子との恋に破れ(その数年後に病没、永遠の別離となった)親友である 北村透谷 の自殺などにより、東京に住むのが嫌になったのでした。 また、長兄が公文書偽造行使の罪での服役や母の病死もあった。 塩釜神社の 「三浦屋跡地」 の案内板 藤村の下宿先、三浦屋があった場所は、今は...

  •  1
  •  0

藤村広場   1 (仙台市 宮城野区)

 魯迅と同じように、島崎藤村が仙台で生活したのはわずか1年あまりでしたが、その間に作った詩は 『若菜集』 としてまとめられて出版され大反響をよびました。 日本近代詩の記念碑的作品ともいわれています。 これを記念して、島崎藤村 が下宿していたところに 「藤村広場」 が作られました。  「日本近代詩発祥の地」 の碑 碑には、こう刻まれています。 名掛丁藤村下宿 「三浦屋」 跡 ここ三浦屋にありて 若き島崎藤村...

  •  6
  •  0

『なめとこ山の熊』

宮沢賢治が、山人 「マタギ」 を主人公にした作品として有名である。 賢治の数ある童話のなかで 『なめとこ山の熊』 は、『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』『風の又三郎』『セロ弾きのゴーシュ』 などとともに、かなり読まれている作品である。  また、賢治賢治は、スポーツとしてハンティングを行う猟師たちを嫌悪していた。賢治がここで描いたのは、『注文の多い料理店』 に登場するような都会からやってきて、快楽を得る...

  •  6
  •  0

伊達六十二万石の宿 湯元 不忘閣  2 (宮城県 川崎町 青根温泉)

「文人達の宿」 一泊 ○万○千円と少々高かったですが、全てにおいて満足でした。 充分高いだけのことはありました。 夕食、朝食は、多くの文人達が泊まった旧館の個室でいただきました。なんか、明治時代にタイムスリップしたような感覚になります。 料理も最高でした。とくに、仙台牛を使った松茸の牛鍋は絶品でした。うまかった!!  もちろん、お風呂も最高。感動ものでした。政宗の湯(大湯) 入口 この引き戸から専用の草...

  •  9
  •  0

伊達六十二万石の宿 湯元 不忘閣  1 (宮城県 川崎町 青根温泉)

 蔵王連峰の山懐にわく青根温泉。伊達家の御殿湯として栄え、伊達政宗公をはじめとして歴代の藩主が湯治に訪れたという由緒ある温泉に一泊してきました。 明治に入り、多くの文人達に愛された温泉でもあります。芥川龍之介、与謝野鉄幹・晶子夫婦、川端康成、高浜虚子、山本周五郎など多くの文人たちが滞在しています。  「日本秘湯を守る会」 会員の温泉でもあります。湯元 不忘閣 門前「夕立の虹見下ろして欄に倚る」 左側...

  •  8
  •  0

おくのほそ道 東京 両国~深川 散策  2

「行春や鳥啼魚の目は泪」(『おくのほそ道』 より) 「是非、奥州塩釜の桜と松島のおぼろ月をみたいものだ。」 と門人たちに話していた芭蕉は、すっかり旅にに魅せられてしまったようで、信州更科の旅を終えたばかりだといのに、もう次の奥州旅行に夢中になっていた。萬年橋 小名木川に架かるこの橋は、けっこう古くに架けられた橋で、アーチ式になっていたとのこと。 葛飾北斎は 『富嶽三十六景 深川万年橋下』 として、浮...

  •  0
  •  0

おくのほそ道 東京 両国~深川 散策  1

 「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老を迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。。。。。。」  (『おくのほそ道』 序文より) 所用で東京に行った帰りに、両国の江戸東京博物館を見学して、芭蕉が暮らしていた地で、『おくのほそ道』 の旅に出発した地でもある江東区深川界隈を散策してきました。 芭蕉記念館 江東区常盤1丁目。隅田川(大川)沿いのビル群に...

  •  2
  •  0

『東岩手火山』  

『春と修羅 第一集』 に収められている賢治の詩である。 岩手山に関した詩では、一番有名かもしれない。  賢治 が花巻農学校の教師をしていた頃、生徒たちと一緒に岩手山登山をしたときの様子が描写されてる。  賢治と生徒たちが未明に登山し、星座を観察し、外輪山をまわってご来光を見る様子が、時間とともに刻々と変化して行く岩手山を背景にして、まるでビデオカメラで撮影してるように詠われている。。。。。 全文をお読...

  •  0
  •  0

おくのほそ道 封人の家 (山形県 最上町)

 「日既に暮れければ、封人家を見かけて宿りを求む。三日風雨荒れて、よし無き山中に逗留す」 『おくのほそ道』 より  宮城県鳴子温泉の小深沢~大深沢~中山峠の難所を越えた芭蕉と曽良は、ヘトヘトになりながら、やっとの思いで山形県最上町の 「封人(ほうじん)の家」 にたどり着いた。封人の家 (旧 有路家、重要文化財)「蚤虱 馬の尿する 枕もと」 芭蕉  封人の家とは、出羽の新庄藩領 堺田村にあった国境を守る役...

  •  3
  •  0

おくのほそ道 刀切伐峠を歩く (山形県 最上町~尾花沢市)

 「究境(がっちりとした)の若者、反脇差指(そりわきざし)をよこたえ、樫の杖を携えて、我々が先に立ちて行く。。。。高山森々として一鳥声聞かず。」   『おくのほそ道』 より  道中の最大の難所であった刀切伐峠越、元々は、一般の人々が通る道ではなく、修験者の通る道であった。尾花沢市側の入口付近 ここから峠のトップを往復しても約1時間くらい。 歴史の道として整備されている。ブナやナラの木に覆われた気持...

  •  0
  •  0

おくのほそ道 壷の碑 - 多賀城碑 (宮城県 多賀城市 多賀城寺跡)

「むつのくの おゆかしくそおもほゆる つほのいしふみ そとのはまかぜ」 西行法師 多賀城。。。律令国家大和政権とエミシの対立の最前線基地から出発し、東北地方を統括する官庁(遠の朝廷)として栄華をきわめました。 奈良平安の昔、都から国府多賀城に赴任して来た万葉歌人が、周辺の景観を歌に読み込んだことから、多賀城周辺には多くの 「歌枕」 が残っています。 ちなみに、ここには、万葉歌人の大伴家持や征夷大将軍坂上...

  •  2
  •  0

おくのほそ道 出羽街道中山越を歩く Ⅳ (宮城県 大崎市)

「蚤虱 馬の尿する 枕もと(爆)」  と、(爆)を付けてもなんの違和感もないほど、ユーモアのセンスにあふれた句です。  ストイックで菜食主義者?の芭蕉にしては、珍しい句ですね。尿前の関所跡 中高年のハイカーグループが、くつろいでお弁当を食べていました。 話しを伺うと、私らと同じコースを歩いて来たとのこと。 「歴史の道」では、誰とも会わなかったので、なんか嬉しくなりました。(笑)芭蕉翁像と句碑 尿前...

  •  0
  •  0

おくのほそ道 出羽街道中山越を歩く Ⅲ (宮城県 大崎市)

 尿前の関は、仙台藩が設置した出羽街道中山越の重要な関所で、荒雄川(江合川)に合流する大谷川(鳴子峡)の下流付近にありました。  江合川沿いに続いていた平坦な道は、ここで、突然、鳴子峡と花渕山、大柴山の山塊で遮られました。 芭蕉と曾良は、鳴子峡の入口を見ただけで、奥羽山脈越えという難所に向かって行ったのです。 「なるごの湯より尿前の関にかかりて、出羽の国に越えんとす。この道旅人稀なる所なれば、関守...

  •  0
  •  0

おくのほそ道 出羽街道中山越を歩く Ⅱ (宮城県 大崎市)

 出羽街道は、東北地方の中央部に位置し、1000年以上も前から陸奥(奥州)と出羽を結ぶ重要な道でした。  鳴子温泉からのこの道は、六つの急坂の上り下りと六つの渡渉があり、最大の難所地帯であった。 ちなみに、義経一行は、最上川を遡り、山形側からこの道を芭蕉とは逆方向に歩き、平泉に逃れました。 今回、私らも芭蕉とは逆に歩いたのでした。。。。(笑) 大深沢の坂道を登りきったあたり このあたりからは、ミズ...

  •  1
  •  0

おくのほそ道 出羽街道中山越を歩く Ⅰ (宮城県 大崎市)

 芭蕉の選択!! おくのほそ道最大の目的地である松島と平泉を訪れた芭蕉と曾良は、次の目的地である友人の待つ尾花沢へと向かった。  曾良の旅日記によれば、岩出山の宿で協議した結果、当初の予定コース(旧中新田町→旧小野田町→鍋越峠→尾花沢)を断念して、出羽街道中山越のコースを選択したのでした。 理由は、中山越コースの方が、距離が短く難所も少ないと判断した為 のようです。  この選択は、正しかったかのか!?...

  •  1
  •  0

おくのほそ 道最上川 本合海~清川 (山形県 新庄市)

 鳴子の中山峠超え~山形の山刀伐峠超えでヘトヘトになった芭蕉は、尾花沢の豪商のもとで10日間も滞在し、これまでの旅の疲れを癒した。  そののち山寺(立石寺)に立ち寄り、羽州街道を北上し、最上川を下り、出羽三山へ向かったのであった。。。。本合海大橋 と 八向楯(山) 川なのに本合海!(もとあいかい)不思議な名称である。 元々は、「合河乃津」 と呼ばれていたらしい。  このあたりの最上川は、複雑な地形のた...

  •  3
  •  0